昨年末、ちょうど我が家に帰省していた長男の電話に
元夫から着信がありました。

「父さんから電話があって…おばあちゃん、亡くなったんだって」
(なんだかこのくだり、多いですね)

元姑は昭和5年生まれ
持病も特になかったのですが(息子経由で)最後に聞いた話では
転んで肋骨を折り入院中とのことでした。

長男はお葬式には行くつもりはない、
お香典、しないといけないのかな、特にするつもりはないんだけど、と言いました。
「何も、してもらった記憶もないし」

これは推測ですが
元夫は「これから(元姑が亡くなった地、義兄家族が暮らす新幹線で数時間のところへ)
駆けつける」と言ったと言います。
長男が「じゃあ僕も」と言ってくれることを期待していたのではないかと思います。

私はともかく、息子たちからのお香典を(母として)
手配してやるべきかと悩みましたが
息子の意思もあるし、
どうしても「孫から」の「お香典」や「献花」が欲しいのならば
元夫が自分の裁量でなんとかするだろうと判断しました。


元姑、
元夫の母親はなかなかに『強烈』な方でした。

元夫との「価値観の違い」に悩んでいた時
いつも
自分を納得させるために
「あのお母さんに育てられたんだから、
(元夫が『変な人』で私と価値観が合わないのは)仕方ない」
と思うようにしていました。

まぁ「子育て」をするというよりは
自分がずっと「娘」のような人でした。

私が結婚した後数年して亡くなった舅は
旧帝大の薬学部を卒業し
大手薬品メーカーに勤めていたにも関わらず
専業主婦の元姑が有れば有るだけお金を使い
更に金融業者から内緒でお金を借りて散財するということを繰り返していたようです。
(私が元夫と結婚する前の話です。
当時20代だった元夫は金融業者の取り立てに対峙し、自分の給料から完済したようです)

というわけで私が結婚した当初から
元夫の実家は借家住まいの貯金ゼロ
でも元々お嬢さま育ちの元姑は生活レベルを下げることが出来ず
高い化粧品を使い
食材はデパートの食料品売り場でなければ、と拘り
年金が無くなると息子たちに泣きつく、という始末。
(当時はまだ舅も存命でした)

我が家が旅行に行ったと知ると
「私たちだって旅行に行きたい(連れていけ)」と言われ
(元夫もそれに応えていました)
海外出張の時は、元姑の方からブランド品のバッグや香水などの
リクエストが当然のようにあり、
我が家を訪問するときは
元夫が事前に(交通費とは別に)お金を渡し、
手土産(子供たちが喜ぶおもちゃなど)を購入してもらい
孫たちにはいいおばあちゃんを演じる、そんな人でした。

私は結婚後、義両親の誕生日、母の日父の日、敬老の日(これは息子たちの名前で)
お中元、お歳暮、お年玉、を欠かすことなく(遅れることなく)贈っていたのですが

とある母の日に
手配していたにも関わらず、お店の手違いで当日配達できなかったとき
(事前に「荷物を送りました」と言っていたわけでもないのに)
お昼過ぎに電話がかかってきて

「何も届かないんだけど!届くと思って待ってるのに
出かけられやしない!どうなってるの!」と怒鳴られたことがあります。

お店に問い合わせてお店の手違いだと判明し
今日は届かないようだと説明しても

「どんなお店に頼んだんだか!!茉莉花さんが悪い!」と怒りは収まらず

そのやりとりを傍で聞いていた長男(当時小6)が
(事の成り行きを自分なりに咀嚼して)
「…もしかして、おばあちゃんってすごく嫌な人なんじゃないの?」
「僕、知らなかった」と言った
という思い出があります。

それまで、息子たちにおばあちゃんの悪口は耳に入れず
いいおばあちゃんであるかのように
私も元姑のことを嫌っているなんてことはおくびにもださずいたのですが
(実は元夫も私が元姑を嫌っているということにこのあともずっと気付いていませんでした。
そういうところまで感情を押し殺して合わせていたからですね)

その一件以来息子たちがおばあちゃんを見る目は厳しくなったと思います。

…ちなみに
孫である息子たちは誕生日のお祝いも
子どもの日のプレゼントも、お年玉すらもらったことはありません。

…いやはや
元姑のエピソードには枚挙に暇がないのですが

とは言え、私は次男の嫁として離れたところに住んでいたので
接点があるときだけ、我慢していればよいのは幸い、と
割り切って付き合っていました。

元舅が亡くなったあと、当分は我儘を通して
一人での借家住まいを貫き通しましたが(相変わらず息子たちに援助を受けながら)
10年ほど前から義兄のところに引き取られました。
(でも義姉が同居は絶対に無理だと抵抗したため義兄宅隣のアパートに住み
毎食、義姉が食事を運ぶという生活でした)

そこでも我儘ぶりを発揮し、
最終的に義姉が精神的に病んでしまう、という
それはそれは可哀想な状況でした。

同じ「嫁」という立場でありながら
「次男の嫁」というだけで姑の面倒にほぼ手を貸すことなく
最後は挨拶もせず、バッサリ関係を断ち切ってしまった私としては
義姉に対しては申し訳ない気持ちもありました。

なので

元姑の訃報に
「あ、お義姉さん、やっと楽になったんだ」と
少しホッとしたのは事実です。

全うしきれなかった「嫁」としてのミッションの中で
「姑を看取る」という大変なことを
「義姉に押し付けた形になってしまった」と
ずっと心に引っかかっていたことが解決したような気持ちでした。

亡くなったことを聞いてホッとしたりして
元姑さん、ごめんなさい。

彼女はただお嬢さま育ちで
かなり我儘(でバイオレンス)だった上に金銭感覚が欠如していただけ、と言えばそれまでです。

お料理も苦手で、元夫たちの成長期ですら
外食、出前、買い食いが多かったらしく
帰省の際は嫁が三度三度の食事をすべて(食材の買い出しからすべて)
作るのもお約束でしたが
どれも「おいしいわ」「どうやって作るの?」「これは何ていう料理?」
と無邪気に褒めてくれていました。
(茄子の煮びたしも切り干し大根の煮物も、全く知らなかったのには驚きましたが)

この夏は初盆だったはず
ちゃんと供養してもらえたでしょうか。

姑に振り回されっぱなしだったお義姉さんが
心穏やかに暮らせていますように
願っています。

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