50代からのシングル(シンプル)ライフ ~熟年離婚、しました。

結婚26年で熟年離婚しました。 弁護士の先生にもお世話になりました。 興信所の社長からは「探偵に向いている」と誘われました。 そんな離婚劇のあれやこれや… シングルアゲインのアラフィフの備忘録です。

2021年02月

シングルになって幸せを感じたこと

自分のペースで生活できる、ということ。

元夫は「ものを捨てられない」人で
家中にモノが溢れかえっていました。

今は元夫が捨てられなかったガラクタを一掃し
家が広くなったのと同時に
私の好みで部屋を飾ったり、日用品を買いそろえたりできるようになりました。
(トイレットペーパーまで銘柄指定があったので、品切れの時はヒヤヒヤしていました)

部屋にグリーンを飾ることも
「虫が来る」と嫌がっていたので
離婚してから観葉植物を飾れるようになりました。

グリーンに関しては「風水的にも良い」と聞いたので…と
次男に言ったところ

「母さん…心が弱ってるから『風水』なんてものに頼ろうとしてるの?」
「大丈夫?」「新興宗教とかに傾倒しないでね」と
とても心配されたのにはすこし驚きましたが(笑)

もともと写真を撮るのは好きだったのですが
(それでも、離婚の話が出てからはカメラを持って出かける心の余裕が
すっかり無くなってしまい、当分触っていませんが)

最近、庭にミカンを置いておくと
メジロが食べに来るんだ、と父が嬉しそうに話してくれました。

久々にカメラを引っ張り出し、待ち構えていると
来た来た♪

可愛いメジロさんが2羽、仲良くミカンをつついていました。

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郊外に梅や河津桜を撮りに行ったとき、何度か遭遇したことはありますが
こんな市街地にも来るのね(*^-^*)

周囲を警戒しながらも
上手にミカンを突いている姿がとても愛らしかったです。

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ブログに写真を入れるといいというアドバイスをいただいたのですが
なかなか内容に沿った写真が撮れなくて(^^ゞ

これからは自分で撮ったお気に入りの写真を載せられたらいいなぁと思っています。

義兄の逝去からずっと気持ちが落ちていて
(バタバタも続き)更新が滞ってしまっています。

ワクチン接種も始まり
三寒四温で春が近づいているのを感じますね


前回の続き】

所長からの話は
4月からの部署異動の内示でした。

勤務地は変わることなく、8年携わった部署を離れ
新しい部署への異動になります。

もちろん全く初めての仕事で
ゼロからのスタートになりますが
私のキャリアと特性を考慮しての配置、ということでした。


異動先の部署は私の想定外のところで

話が出る直前までは
義兄の死の直後ということもあり
感情的に
「ここを辞めて義兄の会社に入社する」という気持ちが固まりつつありました。

でも…

「やってみたい」
「新しい部署でのその(今よりは)責任のある仕事を、とりあえずやってみたい」

と思ってしまいました。

所長室を出るときには
「どうしよう…」
「辞めたくない」
「姉や甥にどう説明すれば分かってもらえるだろうか」
ということで頭がいっぱいでした。

新しい仕事に自信があるわけではありませんし
この度の人事異動で県外へ異動するメンバーも多く、
定年を迎える職員が抜けることもあり
なかなか厳しいスタートになりそうな部署ですが

挑戦する前に辞めるのは少し未練がありました。

義兄が亡くなった直後と言うこともあり
なかなか姉や甥に言い出せずにいましたが

見かねた両親が間に入ってくれ
甥から
「それは『抜擢』されたってことだね。
じゃあ、やりたい仕事を思いっきりやってみて。
でも、今までくらいはうちの会社も助けてほしい。」と言ってもらい

姉は
「やってみて、これは違う、ってなったらうちに来てね」
と渋々ですが(汗)
背中を押してくれました。

そのときに言いました。
「〇〇さん(義兄)がいつも言ってた。
仕事は楽しくやらなくちゃ、って。
やってみたい仕事をまずは楽しくやらないとね。」

…お義兄さん
ありがとうございます。



今回の件で色んな方々に相談をしました。

最終的に心に響いたのは
「転職は一生のことだから、よく考えて」(これはみんな言う)

「転職をしたい人には『金銭的』『やりたいことがある』『家業を継ぐ』など
明確な理由と意思がある。あなたにはそれがない。
ただ「情」だけ。それも立派だと思うが、ここにきて『やりたい仕事』が目の前にぶら下がったのなら
辞めるべきではない」

実際、義兄の会社の業務に関しては全くの未経験で
内容も興味もあるかと言われれば
『NO』です。

今後、もし義兄の会社でしんどい、と思ってしまったら
辞めるに辞められず
辞めたとしてもまたゼロからの就職活動になる、と思うと

これがのんきな「奥さま」の立場なら「それもアリ」かもしれませんが
やはり細々とでも自分で稼いでいかねばならぬので厳しいでしょう。

相談した誰もが
「離婚から1年ちょっとで、まだ昔の茉莉花さんじゃないのを感じる」
「今のあなたはまだ不安定」と口を揃えます。

やはり
まだ生活を変えるタイミングではないのだろうと
ひとまず4月以降の勤務続行を決意しました。

義兄の逝去後も
週に1日は義兄の会社にアルバイトとして入り、
実際に甥が抱えていた業務の一部を引き継いでいます。
年度替わりには
相当数の書類作成が発生すると思われますが

新しい部署での仕事と共に、
どちらも頑張って行こうと思っています。



義兄のことがあってから
コロナのことや仕事のこと、姉のことなどに心を奪われ
元夫との嫌な思い出を思い出すことが減っていました。

人生とは
こうやって
嫌な記憶が色んな出来事で上書きされるのだな、と実感しています。

できれば幸せな出来事でこれからの人生を上書き保存していきたいものです。

義兄が亡くなってから

なんだか実感が湧かず
でも現実の日常は毎日続いています。

コロナに関しては
たくさんの現実や
実際の医療関係者のご苦労や
精いっぱい寄り添った治療
その後の葬儀のことなど
経験しないと知り得ないことがたくさんありましたが

姉家族のプライバシーにかかわることなので
いつか機会があったらお話したいと思います。

ただ、コロナという病は、基礎疾患を持っていたり
高齢者には本当に恐ろしい病気だと実感しています。

街頭インタビューなどで
「かかったらかかったとき」
「むしろ一度かかっておいた方が安心」などと言っている人を見ると
悲しく思います。

そして予想外に
突然の死を迎える、という現実には本当に胸が痛みました。

義兄は「ちょっと人工呼吸器つけるからしばらく連絡できないからね」
と病院から電話をしてきたのを最後に
眠り続けることになりました。

「病院で闘病」した期間は2カ月近くに及びましたが
まさか、亡くなることになろうとは本人も思いもしなかったことでしょう。

本人もそのような準備も心づもりもなく
もちろん周囲も、会社の経営に関してもそのような想定もしておらず

不安や悲しみに押しつぶされながら
「今後のこと」「会社のこと」に対しての「段取り」(でも縁起でもないから考えたくない)
そんなもやもや落ち着かない
12月~1月でした。



義兄が多分もう回復することはない、と言われた早い段階で

姉と二人の甥が
私に
「今の職場を辞めて、うちの会社に来てほしい」と頭を下げに来てくれました。

姉たちが言ってくれたのは

今回のことがあってお金関係をすべて担当している姉が
(自分もコロナ感染で療養施設に入ったりしたので)
「誰かに経理を引き継いでもらいたい」
「お金に関することだからやはり身内がいい」

そして
「〇〇(わたし)が出社してくれる日は社内の雰囲気がとても良い」
「数名手を焼いている社員が〇〇(わたし)の言うことはよく聞く」

だから
「助けて欲しい」

もちろん、今私が担当している事務的なスキルも評価してくれていましたが

姉も甥も
精神的な面で
「とにかくそばに居て欲しい」「助けて欲しい」
という感じでした。

1カ月以上、悩みました。
全くの異業種にこの年でゼロから飛び込むこと。
そのための資格試験を受けなければならないこと。
(更に経理の仕事も未経験なのでこれもゼロから覚えなければならないこと)
通勤時間が現在の5~6分から30分と伸びること
勤務時間も伸びること
そして月15日勤務だったところがフルタイムになること。

条件で言うと頭では「NO」でした。
息子たちは反対でした。

両親もどちらの味方も出来ず困っていました。

義兄の容体が悪くなるたび
姉が不安定になるたび
「やはり、ここで助けなければならない。家族なのだから」と
思い詰めるのですが

一晩明けると

「やはり…自信もない」

ただ、私を悩ませているのは「情」でした。
今ここで
姉たちの力にならないのは「人としてどうか」という追い詰められた感情でした。

こっそり相談した周囲の同僚は「辞めないで欲しい」と引き留めてくれました。

信頼して相談した誰もが
「今の職場を辞めるべきではない」
「今までの状態のまま、もう少し頑張って手伝いに入るから、というのではダメなの?」
と言いました。


奇しくも
義兄が亡くなった次の日

職場の所長室に呼ばれました。

義兄が
亡くなりました。

コロナの陽性反応が出てから2カ月、
一度は手の施しようがない、と宣告されてから
1カ月少し、

エクモの力を借りても
肺は元通りになりませんでした。

コロナ禍での最期のお別れは
思うように傍に行くことも出来ず、
触れることも出来ず
本当に切ないものでした。

その中でも医療従事者の方々は
懸命に治療に当たってくれ
特例として最後に言葉を交わすことを叶えてくださったそうです。

頭はしっかりしている義兄は
「悔しい」と
そして何度も
「ごめんね」と言い
「大好きだからね」という姉と甥たちの言葉に
にっこり笑って眠りについたそうです。

私は会うことは叶いませんでしたが
その時間

空に向かってシャボン玉を吹きました。
空に昇っていく義兄に見えるといいな、と思いながら
義兄に声をかけながら
空を見上げて吹きました。

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コロナは
残酷だとしみじみ思います。

職場では義兄や姉の罹患については話していないので
雑談の中で、「実感がない」とか「他人事のような」
「夜の街にいかなければ大丈夫なんでしょ」的な話を聞くたびに
心が痛くなります。

直前まで元気で精力的に仕事をしていた義兄
お客様ファーストで、顧客から絶大の信頼を得ていた義兄
自ら興した会社をどんどん大きくして
仕事が大好きだった義兄

私が離婚した際には弁護士さんを紹介してくれ
シングルになった私の生活を心配してくれた義兄

元夫の代わりに
長男や次男の父親代わりくらいの勢いで二人に声をかけてくれていた義兄

あっという間に
コロナに奪われてしまいました。

ほとんど鎮静剤で眠らされて
最期はモルヒネで眠らされて
2カ月の闘病生活は義兄にとって苦しいものだったかもしれませんが

それでも
緩やかに
姉や甥に覚悟を決めさせる時間を必死に作っていてくれたのかもしれません。


コロナが憎い
本当に
本当に
憎い

悔しいです。

結婚退職し

10年間専業主婦生活を送った後
パートから社会復帰した私ですが

ご縁に恵まれ声をかけて転職するたびに
少しずつステップアップして

離婚したときは
とある独立行政法人の嘱託職員として勤務していました。
月に15日だけ勤務して
9時~17時の残業ゼロの年俸でお仕事をしていました。


福利厚生がしっかりした
全国規模の大きな会社でぬるま湯のような社会人(みなし公務員)で
主婦との両立にはとてもよかったのですが

予定外に離婚することになり

さて
なんとか生活はしていかれるけど
これからの人生、もう少し収入があった方が心丈夫だけど…
と言った感じでした。

実は
離婚直後から義兄が経営する会社に
正社員として入らないかと
姉夫婦から誘われていました。

それは収入が心許ない私に対しての同情からくるものだろうと
断っていました。

それに
50歳も過ぎて、離婚で人生がガラッと変わった中で
更に仕事環境まで変えることは得策ではないと判断したからです。

月15日、みなし公務員として
65歳の定年まで
のんびり仕事が出来れば、と思っていました。

姉夫婦からの誘いが
どうやら単なる同情からくるものではない、と思ったのは
(本業の)15日の勤務以外の平日休みの日でもよいから
アルバイトで手伝いにきてくれないか、と
その後も再三誘われたからです。

これは推測の域を出ませんが
一連の離婚騒動での私の立ち回りや
S弁護士先生からの評価などもあり
義兄たちは社会人としての私に
ある程度期待をしてくれたようです。

そして事実、義兄の事務所では
円滑に業務を遂行するための「庶務」のポジションがおらず

業務内容に精通していなくてもできる
WordやExcelを使っての書類作成などの作業が
滞っているようでした。

パソコン操作がそこそこできる私に
週イチでもよいから手伝いに来てくれると助かる、と
熱心に誘ってもらい

私も破格の日給に惹かれて
本業の会社勤めを続けながら
2020年4月からアルバイトに入ることになりました。

7年振りに「民間企業」の空気に触れたことは
私の中でもとてもよい刺激になり
月3日~4日、
助っ人事務員として出社することになり
楽しくお仕事をさせていただくようになりました。

はじめてみる
「仕事をしている義兄」
「社長としての義兄」
「事務長としての姉」は
とても新鮮で
若い社員さんたちが生き生き働いている姿もとても新鮮でした。

お盆とお正月にしか会うこともなかったけれど
姉と義兄はとてもよい夫婦で
職場でもお互いを尊重しながら、
でも軽口を叩きながら
信頼し合い
仕事をする姿を見て

家でも職場でもずっと一緒なのに
「仲がいい」とはこういうことを言うのだな、と
初めて気付いた気がします。

私と話した何気ない他愛ない会話の内容を
(多分自宅で姉が話して聞かせたのでしょうね)
次に行ったときに義兄から「こんなことがあったんだってー?」と言われる、

私と元夫は家庭内でほとんど会話がありませんでしたし
私が話した内容など元夫は右から左に抜けていて
(最後まで私の友達の名前すら覚えていませんでしたから)

「会話を楽しむ」なんてことがなかったので

ああ夫婦とはこういう感じなのか、なんて
微笑ましい想いで眺めていました。

私が出社した日は、義兄は必ず私のデスクまで来てくれ
声をかけてくれました。

最後に、言葉を交わしたのは12月1日のことです。
何を話したのかは覚えていません

それくらいいつもと同じ日常だったから。


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