50代からのシングル(シンプル)ライフ ~熟年離婚、しました。

結婚26年で熟年離婚しました。 弁護士の先生にもお世話になりました。 興信所の社長からは「探偵に向いている」と誘われました。 そんな離婚劇のあれやこれや… シングルアゲインのアラフィフの備忘録です。

2022年08月

昨年末、ちょうど我が家に帰省していた長男の電話に
元夫から着信がありました。

「父さんから電話があって…おばあちゃん、亡くなったんだって」
(なんだかこのくだり、多いですね)

元姑は昭和5年生まれ
持病も特になかったのですが(息子経由で)最後に聞いた話では
転んで肋骨を折り入院中とのことでした。

長男はお葬式には行くつもりはない、
お香典、しないといけないのかな、特にするつもりはないんだけど、と言いました。
「何も、してもらった記憶もないし」

これは推測ですが
元夫は「これから(元姑が亡くなった地、義兄家族が暮らす新幹線で数時間のところへ)
駆けつける」と言ったと言います。
長男が「じゃあ僕も」と言ってくれることを期待していたのではないかと思います。

私はともかく、息子たちからのお香典を(母として)
手配してやるべきかと悩みましたが
息子の意思もあるし、
どうしても「孫から」の「お香典」や「献花」が欲しいのならば
元夫が自分の裁量でなんとかするだろうと判断しました。


元姑、
元夫の母親はなかなかに『強烈』な方でした。

元夫との「価値観の違い」に悩んでいた時
いつも
自分を納得させるために
「あのお母さんに育てられたんだから、
(元夫が『変な人』で私と価値観が合わないのは)仕方ない」
と思うようにしていました。

まぁ「子育て」をするというよりは
自分がずっと「娘」のような人でした。

私が結婚した後数年して亡くなった舅は
旧帝大の薬学部を卒業し
大手薬品メーカーに勤めていたにも関わらず
専業主婦の元姑が有れば有るだけお金を使い
更に金融業者から内緒でお金を借りて散財するということを繰り返していたようです。
(私が元夫と結婚する前の話です。
当時20代だった元夫は金融業者の取り立てに対峙し、自分の給料から完済したようです)

というわけで私が結婚した当初から
元夫の実家は借家住まいの貯金ゼロ
でも元々お嬢さま育ちの元姑は生活レベルを下げることが出来ず
高い化粧品を使い
食材はデパートの食料品売り場でなければ、と拘り
年金が無くなると息子たちに泣きつく、という始末。
(当時はまだ舅も存命でした)

我が家が旅行に行ったと知ると
「私たちだって旅行に行きたい(連れていけ)」と言われ
(元夫もそれに応えていました)
海外出張の時は、元姑の方からブランド品のバッグや香水などの
リクエストが当然のようにあり、
我が家を訪問するときは
元夫が事前に(交通費とは別に)お金を渡し、
手土産(子供たちが喜ぶおもちゃなど)を購入してもらい
孫たちにはいいおばあちゃんを演じる、そんな人でした。

私は結婚後、義両親の誕生日、母の日父の日、敬老の日(これは息子たちの名前で)
お中元、お歳暮、お年玉、を欠かすことなく(遅れることなく)贈っていたのですが

とある母の日に
手配していたにも関わらず、お店の手違いで当日配達できなかったとき
(事前に「荷物を送りました」と言っていたわけでもないのに)
お昼過ぎに電話がかかってきて

「何も届かないんだけど!届くと思って待ってるのに
出かけられやしない!どうなってるの!」と怒鳴られたことがあります。

お店に問い合わせてお店の手違いだと判明し
今日は届かないようだと説明しても

「どんなお店に頼んだんだか!!茉莉花さんが悪い!」と怒りは収まらず

そのやりとりを傍で聞いていた長男(当時小6)が
(事の成り行きを自分なりに咀嚼して)
「…もしかして、おばあちゃんってすごく嫌な人なんじゃないの?」
「僕、知らなかった」と言った
という思い出があります。

それまで、息子たちにおばあちゃんの悪口は耳に入れず
いいおばあちゃんであるかのように
私も元姑のことを嫌っているなんてことはおくびにもださずいたのですが
(実は元夫も私が元姑を嫌っているということにこのあともずっと気付いていませんでした。
そういうところまで感情を押し殺して合わせていたからですね)

その一件以来息子たちがおばあちゃんを見る目は厳しくなったと思います。

…ちなみに
孫である息子たちは誕生日のお祝いも
子どもの日のプレゼントも、お年玉すらもらったことはありません。

…いやはや
元姑のエピソードには枚挙に暇がないのですが

とは言え、私は次男の嫁として離れたところに住んでいたので
接点があるときだけ、我慢していればよいのは幸い、と
割り切って付き合っていました。

元舅が亡くなったあと、当分は我儘を通して
一人での借家住まいを貫き通しましたが(相変わらず息子たちに援助を受けながら)
10年ほど前から義兄のところに引き取られました。
(でも義姉が同居は絶対に無理だと抵抗したため義兄宅隣のアパートに住み
毎食、義姉が食事を運ぶという生活でした)

そこでも我儘ぶりを発揮し、
最終的に義姉が精神的に病んでしまう、という
それはそれは可哀想な状況でした。

同じ「嫁」という立場でありながら
「次男の嫁」というだけで姑の面倒にほぼ手を貸すことなく
最後は挨拶もせず、バッサリ関係を断ち切ってしまった私としては
義姉に対しては申し訳ない気持ちもありました。

なので

元姑の訃報に
「あ、お義姉さん、やっと楽になったんだ」と
少しホッとしたのは事実です。

全うしきれなかった「嫁」としてのミッションの中で
「姑を看取る」という大変なことを
「義姉に押し付けた形になってしまった」と
ずっと心に引っかかっていたことが解決したような気持ちでした。

亡くなったことを聞いてホッとしたりして
元姑さん、ごめんなさい。

彼女はただお嬢さま育ちで
かなり我儘(でバイオレンス)だった上に金銭感覚が欠如していただけ、と言えばそれまでです。

お料理も苦手で、元夫たちの成長期ですら
外食、出前、買い食いが多かったらしく
帰省の際は嫁が三度三度の食事をすべて(食材の買い出しからすべて)
作るのもお約束でしたが
どれも「おいしいわ」「どうやって作るの?」「これは何ていう料理?」
と無邪気に褒めてくれていました。
(茄子の煮びたしも切り干し大根の煮物も、全く知らなかったのには驚きましたが)

この夏は初盆だったはず
ちゃんと供養してもらえたでしょうか。

姑に振り回されっぱなしだったお義姉さんが
心穏やかに暮らせていますように
願っています。

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この夏
『久しぶり』にお目にかかった友達の中に
18歳年下の「ソウルメイト」がいます。

彼女は10年ほど前に2年ちかく一緒にお仕事をした女性。
当時私たちが勤めていた会社は
隣県に「支社」があり、私の地元は「営業所」の扱いで
通常業務は私たちだけで回していました。
他の社員は外に出ている状態で
事務所には私と彼女(Mちゃん)二人きり。
営業所立ち上げ時に責任者として雇われたMちゃんは若干20代前半で
一応私の「上司」ではありました。
(私は、1年遅れて入社したフルタイムパートだったで)

湘南出身のMちゃんは当時の彼の転勤にくっついて
私の地元にやってきており、日々プロポーズを待っている、そんな状態でした。

基本一日中二人きりの職場、
相性が悪ければ最悪の環境でしょうが、
なんとなかなか楽しかったのです。いえ、かなり。

仕事的には私たちは支社が抱える営業所の中では業績No1で
ある程度の自由が許されていたというのも居心地がよかった理由だと思いますが

18歳も年下の女の子と、こんなに合うの?と思うくらい
相性が良く、Mちゃんのお母さんに
「Mと茉莉花さんはソウルメイトなのね」と言われるほどでした。

Mちゃんは私とは全くタイプの違う子で、
若いときにカナダにワーキングホリデーに行っていたこともあり
なかなか自由な発想の女の子でした。
私の知らない世界をたくさん教えてくれ
中には「ダイジョウブなの?」ということも多々ありましたが(笑)
それでも随分気も話も合っていました。

あれから10年
Mちゃんは私の地元を離れ
(プロポーズを待っていた彼とは結構な修羅場でお別れし(私も間に入ったりもしました))

仕事やパートナーも何度か代わり
現在は結婚し、海外に住んでいます(旦那さんも外国の方です)

この夏1カ月帰国したことで
4年振りの再会のために私の地元まで来てくれました。

10年前に一緒に働いていた時から
私と元夫の溝については話していましたし
離婚時はリアルタイムで相談もしていました。

改めてじっくり話を聞いてもらい
実は彼女も離婚を考えている、ということも聞きました。
若いMちゃんは自分の周りで離婚はそれほど特別なことではないこと
旦那さんはとてもよい「同居人」ではあるけど
男性として見られないのだ、と話していました。
子どもが居ないMちゃんにとっては
やり直しが出来る最後のチャンスだと思っている、ということでした。

言い出したら自分の意思を貫くMちゃんですから
特に「何か」をコメントはしませんでしたが
私が感じていること、として

「家族」というか「夫婦」という形を失くしてしまったら
「自由」にはなるけれど
時として、「一人で」「決断したり」「乗り越えたり」しなければならない局面や
社会的に「孤独」を感じてしまうことは、ある。

それが海外だったら(彼女は離婚したとしても戻ってくる気はないとのこと)
今、彼に守ってもらっていること
(経済的にも精神的にも対外的にも)が無くなることになるから
その覚悟だけは、しておいてね。

と話しました。

イケイケGOGOのMちゃんのことですから
あの様子では新しいステージに踏み出しそうな気がしています。
若さがすこし、羨ましいです。

若さとは別に、Mちゃんは自分の欲望に貪欲だな、と
一日一緒に過ごして感じました。
元夫の顔色を伺いながら「平和に」「穏便に」をモットーに生きて来た私とは
正反対です。
だからこそ彼女に惹かれるのかしらん
そして彼女から学ぶことはこういうところかしらとも思いました。

一緒に過ごした一日は一日中笑って笑って
お互い「それな!」を連発し、本当にとても楽しい一日でした。


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すこし話は変わりますが

お盆に夏休みを取らなかった私は
9月にまとまった休みをとって次男が住む関東に遊びに行こうかなぁと計画中です。

その話を転勤で関東に居る職場の女の子(27歳)にぽろっと話したら
「有休取るので一緒に遊びましょう!案内します!」と言ってくれました。

それを何気なく次男に話したら

「わざわざ会いに来てくれたMちゃんもそうだけど、
母さんそれってすごいと思うよ。
職場で知り合った人でしょ?自分のお母さんくらい年が離れてるんでしょ?
休み取ってまで会おうって言ってもらえるなんて、母さん、すごいね」

わー❤
わたし、年下のお友達も結構、いた(笑)
年下のお友達からは
若さと元気を吸い取り
流行り物について教えてもらうのが楽しみです。

友達は、財産ですね。

元夫には本当に「友達」が一人もいなかったので
寂しい思いをしているではないかと思います。
(スマホのアドレス帳は仕事関係の人ONLY、
まあ友達はゼロでも愛人がいるのでよかったのかもしれませんが)

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お盆です。

先日記事に書いたからか、今朝夢にOさんが出てきました。



驚く私に
「亡くなったのは主人なのよ、そういう噂が出回ってることは知ってる」
と笑顔で言いました。

「よかったー」と私は言い(Oさんの旦那さんゴメンナサイ)
教えてくれたNさんにも教えてあげなくちゃ、と思ったところで目が覚めました。

なんだかやけにリアルで
夢の中の私はOさんのお顔をまじまじと見つめて
「ほんと、美人だな」と考えていました。

もうずいぶん会えていなかった彼女に
夢の中でどアップで会えたことがとても嬉しく
そして切ない目覚めでした。

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懐かしいといえば、
今月は『久しぶり』にお目にかかった友達が何人か居ます。

そのうちの1人はIさん。

20年以上前、まだ次男が幼稚園に入ったばかりのころ
一緒にお仕事をしたことがある10歳年上の女性です。

子供さんも我が家の息子たちより10歳近く上ということで
当時の私には「余裕のある生活」を送っている
(金銭的なことではなく、時間に追われていない)
頼もしい先輩ママさんというイメージでした。

洋裁が趣味でご自身のお洋服を作られたり、
お手製の栗の渋皮煮は絶品で毎年届けて下さったり…

当時の私は子育てに追われ全く余裕がなく、
仕事上のやりとりはあるものの
ランチや飲み会などをご一緒することもなく
一度だけ彼女が作ってくれたお弁当を持って、
子供連れで彼女のご自宅近くの公園で
お花見をさせてもらったのが唯一の思い出です。

年賀状と、数年に一度気まぐれにやり取りするLINEのお付き合いでしたが
10年振りくらいにお目にかかることになりました。

離婚したことを告げると驚いていましたが
「思い返してみると…当時茉莉花さんは『冗談っぽく』ではあるけど
ちょいちょい旦那さんへの愚痴をこぼしていたわ
かなりご主人の顔色を伺ってた」
「あと…私がはっきり覚えているのは…『お姑さん』
かなーり『強烈』な人だったわよねー、よくやってるわと思ってた」

…そうでした。
元お姑さん(元夫のお母さん)は結構大変な方でした。
また後日記事にしたいと思います。

久しぶりの再会は5時間以上、深夜にまで及び
2人で夜の街を歩いて帰宅しました。

実はIさんは終の棲家を新築中で
完成するまでの数カ月間を賃貸マンションで仮住まいしているということでした。

そしてたどり着いて

「!!!」
「ここ、元夫が住んでいるマンションの隣です!!!」


「えー!うそぉ」

…というオチにはビックリでした。
駐車場に停めてある(かつては私が乗り回していた)元夫の車の中を
2人で覗き込んでみたりして(笑)


楽しい夜でした。
日舞のお師匠さんもそうですが
私、素敵な年上の女性とお話すると
元気がもらえる気がします。

そしてとても居心地がいいのです。

今回の逢瀬もIさんがさっさとお膳立てしてくれて
ステキなお店を手配してくれ
すべてお任せできる、というのも安心で
離婚の諸々の話の中でも
なんとなく「お姉さん」に甘えているような安心感があり
そして会話の中で
考えさせられたり、気づくことがあったり

「茉莉花さんはよくやったわ」
「離婚出来て本当に良かったね」
「まだまだこれからよ」

と言ってもらえたこともとても嬉しかったです。

そしてIさんの暮らしぶりを聞いていて
(結婚したお子さんたちとの付き合い方なども含めて)
「こんな年の取り方をしたいな」と思えて
私も頑張らなくては、と思うことができました。


Iさんが新築中のお宅は
憧れのアイランドキッチンだそうで
完成した時にはお邪魔させていただく約束をしてお別れしました。

ステキな年上のお友達、大切にお付き合いしていきたいです。
(この記事を書いていて気付く、元夫の不倫のお相手の方とIさんは同い年Σ( ̄ロ ̄lll))

写真はその夜いただいたのコースの中の一品です。
オイシカッタ❤

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友達の脳梗塞の知らせから一ヵ月ほど経ったある日

長男から電話がありました。
「父さんから聞いたんだけど…Oくんのお母さんが亡くなった、って」
「えっ!!!!」

Oくんのお母さん(Oさん)とは
長男、次男ともに同級生で
小学校時代の少年野球のチームメイトのママ友でした。

当時は週末はもちろん朝から晩までずっと一緒
子ども達の習い事も一緒
学校から帰ってから遊ぶのも一緒
チーム役員も一緒にしましたし
連絡網が前後だったので
(Oさんはとてもお喋り好きだったこともあり)
電話では毎回、2時間くらいお喋りしていました。
(元夫は連絡網の電話がかかるたびに
私が長話をするのが気に食わなくて機嫌が悪くなりましたが)


我が家の2人の息子たちは
中学受験をして
地元の中学ではなく
Oくんたちとは別の進路を選んだので
濃いお付き合いとしては小学卒業時まででした。

でも

近所のスーパーで
子どもの部活(高校)の試合会場で
バッタリ遭遇しては「久しぶり~!!!」と立ち話をする、
そんな関係でした。

子どもも社会人になり、
そういえば最後に会ったのは高校最後の夏だったかも…
厳密に言うともう7年会っていなかったのですが
いつでも会える、と思っていたので
そんなに会っていない、という意識もありませんでした。

そして
子どものチーム活動を通して
「数少ない」「元夫のことを良く知っている」奥さんでした。
(当時はチームの父親の飲み会、のようなものもありましたし
県外へ遠征試合に泊りで行くこともありましたので、
元夫も(積極的ではありませんでしたが)チームの活動に参加していました)

Oさん宅の近くのスーパーに行くと
結構な頻度でOさん、Oさん夫に遭遇することがあり
それは元夫も(わたしと別行動の時にも)よく言っていました。

だからこそ
離婚した後、久しぶりに顔を合わせて
「ご主人お元気?」と尋ねられると嫌だな、という意識が働いてしまい
そのスーパーを避けていたのは事実です。
だから、ここ数年はお目にかかっていなかった、
でも
その気になれば、いつでも会えると思っていた


そのOさんが、亡くなった。

何故?

…長男の話では
「詳細なことは父さんも全く分からないと言っていた」
「事故なのか病気なのかも分からない」
「昨日今日のことなのか、もうずいぶん前のことなのか分からない」

何にも分からないのか!!(元夫の役立たず!!)

元夫がそのことを知ったのは、
同じオフィスビルに入っている系列会社に勤める
当時のチームメイトのお父さん(Nさん)が
顔を合わせた時に「そういえば…」と教えてくれたとのことでした。


Oさんの訃報を元夫から(長男を経由するにしても)教えられるのも気に食わない
(仲が良かったのは私なのに、という悔しさがある)
亡くなったことの詳細について全く伝えてこない詰めの甘さも気に食わない

何より
信じられない
信じたくない

2日ほどぼーっと過ごした後
意を決してNさんの奥さん(この方もチームのママ友)に
LINEで尋ねてみました。

**************

Oさんは2年前に子宮頸がんが見つかって
抗がん剤治療もしたけれどダメだった。
最後は緩和ケアだったが
コロナ禍なので
入院してしまうと
簡単に家族がお見舞いに行かれない状況になるため
最期まで自宅で過ごした、とのこと。

偶然ですが、私が彼女の訃報を知ったのが
ちょうど四十九日の日でした。

Nさんも、もう何年もOさんにお目にかかっておらず
闘病していることも全く知らなかった。
亡くなってからすべてを知って驚いた、とのことでした。


***********************

Oさんは私よりお若くて
美人なのにとても気さくで

小学校でもPTAの執行部を長年バリバリやっていて
本当に元気溌剌、頭の回転が速い、仕事が早い女性でした。
お料理の手際もよくて、よく簡単レシピや
おすすめ調味料などを教えてくれました。

子育てがひと段落つくのを待っていたかのように
第一子出産まで勤めていた銀行から
「カムバック」の声がかかり

「わたし、働きたいの。働くのが好きなの。だから誘われて嬉しいんだ」と
声を弾ませて
12年間の専業主婦生活に別れを告げ
羽ばたくように社会復帰していったOさん。

毎週のように長話していたときに
聞かせてもらったご主人との馴れ初め話、
ご家族の話 etc.

思い出すことがたくさんありすぎて
数日は彼女を思い出しては涙が溢れました。

癌が分かったとき、怖かっただろうな
子ども達を置いてまだまだ生きたかっただろうな
あんなに何でも出来る若々しい彼女が
おばあちゃんになったら
どんなにアクティブなおばあちゃんになったかしら
まだまだ
まだまだ
生きていたかっただろうな、と思うと
切なくて
やりきれなくて

そして
残された時間が限りあるものだと悟ってからの日々は
どんな想いで過ごしていたのだろう、

もし、彼女の闘病を知っていたら
私はどう声をかけたのだろう
彼女の心に届くような寄り添い方が出来ただろうか

そんなことも考えました。

この話を聞いてもらった友達は
同じ癌で闘病し亡くなった友達を身近で見ていた経験がある人なのですが

「何も知らないまま訃報を知って色々後悔する気持ちも分かる、
でも私は、一緒に過ごした最後の日々の中で
かけたあの言葉は正しかっただろうか、
闘病している彼女には厳しすぎたのじゃないか
もっと別の言い方があったんじゃないか
もっと言うべき言葉があった気がする、と今でも色々考える。
どっちだとしても、つらいね」
と話してくれました。


あんなにしっかり者の彼女が
婦人科健診を受けていなかったのかしら、とポツリと言ったら
友達が
「そういう『しっかり奥さん』『しっかりお母さん』こそ
自分のことを後回しにしがちなんじゃないかな」とも言っていました。

「ただし」と友達が続けたところによると
子宮頸がんがとても増えている、と検診のときの医師に言われた、とのこと。
必ず、子宮がん検診を受けてね、と女医の先生に滾々といわれたそうです。

検診や
早めの治療
そして生活習慣で
健康を維持することが出来るのならば
これからの余生、QOLを向上させるためにも
子ども達に心配や迷惑をかけないためにも
出来ることはしなければならない、と思っています。


初盆、ですね。
彼女の魂はご自宅に帰ってこられるかしら。

こうやって記事に書いていても
まだ信じられなくて
訪ねて行ったら彼女が玄関を開けて迎えてくれるような気がして
切なくなります。

Oさんのご冥福を心から祈っています。

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遡ること今年の3月から
ワタクシ、新しいお稽古ごとを始めました。

『瓢箪から駒』のような経緯で始めることになったこのお稽古
ある女性との再会がきっかけでした。

昨春、部署異動になった私が仕事で出かけた訪問先で
5~6年前(2年間だけ)私の職場にいらっしゃった女性と再会しました。

当時、別の部署だったため顔は分かるものの
それほど親しく会話をしたことはありませんでした。

が、噂で聞いている年齢よりも随分と若々しく見え
とてもお洒落で上品な女性だということは
職場の誰もが口を揃える
「おば(あ)ちゃん」((あ)を入れるか入れないか微妙)でした。

「あらお久しぶりねぇ」と言葉をかけられ
その後、彼女と一緒になる仕事の日は
早めに待ち合わせをしてランチをするようになりました。

そのランチの時の雑談の中で
コロナ禍でそれほど遠出も出来ていない、旅行にも行っていない、という話の流れで
「私は月イチでお稽古のために新幹線でお師匠さんのところに通ってるの」
「それがとてもリフレッシュになるのよ」
と彼女がサラリと言いました。

「?」
「お稽古?お師匠さん?何を習われているのですか?」

「あら?話したことなかった?」
「私、日本舞踊の師範なのよ」

聞けば3歳から日舞を習い、16歳で名取となり
弟子もとっていたとのこと。
転勤族の旦那さんと結婚してから
踊りで身を立てることは諦めたけど

一年前から知り合いの小学生にお稽古つけてるの、
趣味みたいなものなんだけどね。

そして

「今、教えてる小学生たちが4月から中学校に上がるんだけどね
多分、部活動や塾でお稽古続けられなくなると思うの。
せっかくの私の生きがいが無くなってしまいそうなの。
誰か習いに来てくれる人いないかしら?
茉莉花さん、どう?」

ニホンブヨウ…
私のこれまでの人生で1mmの関わりもなかった
全くの「別世界」
日本舞踊がどのようなものか
そもそもちゃんと見たことすらない

でもその時
とても気持ちが動いたのです。

まずは
『自分で着物が着られるようになる』
ーお稽古は浴衣で行うので、まずは着物に着替えるところから始まる
「粋」に着られるようになるわよ。と言われました。

そして何より
彼女が
「姿勢が良くて」「上品で」「若い」のは
ニホンブヨウが理由だったのか!!!!!と
めちゃくちゃ
腑に落ちたからです。

彼女の所作がとても美しいこと
そのことは職場でもよく話題になっていました。

品がある、というのはこのことなのでしょうが
それが一朝一夕で身に付いたものではないということは
良く分かります。

わずかでも、彼女の「所作」に近づきたい、
わたしも「姿勢が良くて」「上品で」「若く見える」
おば(あ)ちゃんになりたい!


…正直なところ
「踊れるようになりたい」という気持ちは1mmも無く
日本舞踊が何たるかも良く分からない状態で
一度、小学生たちのお稽古を見学させてもらい

1週間後には
私は「日本舞踊」のお稽古を始めました。

この彼女(これからはお師匠さん、と呼びます)とのエピソードは
これからちょくちょく記事にしていきたいと思いますので
よろしければお付き合いください。

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