50代からのシングル(シンプル)ライフ ~熟年離婚、しました。

結婚26年で熟年離婚しました。 弁護士の先生にもお世話になりました。 興信所の社長からは「探偵に向いている」と誘われました。 そんな離婚劇のあれやこれや… シングルアゲインのアラフィフの備忘録です。

2024年12月

今年も残すところあとわずかになりました。

離婚して5年の月日が流れました。
…早かったです。


離婚を切り出したあの大変な一日や
弁護士事務所での胃がキリキリするような打ち合わせや
悔しくて泣きながら元夫が残していった「ガラクタ」を
片付けたことや

あれやこれやの修羅場がつい昨日のことのように思い出せるのに
あれが5年も前のこと???

って感じです。

その間には

長男が入籍したり
挙式披露宴が行われたり
孫が生まれたり
愛猫が亡くなったり
義兄がコロナで亡くなったり
実母に癌が見つかり手術したり
実父が救急車で搬送されたり(それも今年1年で3回も!)

色んなことがありました。

私も年を取り
両親も年を取りました。

両親に手がかかることが増え
孫守りに駆り出されることも増え
もろもろが重なったときには

「相方が居れば半分とは言わないまでも
すこしは分担できるのになぁ」と頭をよぎることがあります。

でも
それも一瞬だけ。

きっかけは元夫の不貞だったとしても
彼との結婚生活は
自分を殺してたいそう息苦しいものでしたから

今の
日々の自由な暮らしを
こころから満喫しながら過ごしています。


2025年の目標は
「なにはともあれ健康が一番」をモットーに
いろんなところにお出かけできたら、と思っています。
「旅」を頻繁にすることは難しいかもしれませんが
「フッ軽」でいたい、と思っています。

老親と同居している娘としても
日に日に踏ん張りどころが増えてくるのではと思っていますが

健康で
ごきげんに暮らしていきたいと願っています。



そして


正直に言うと
離婚後5年もすれば男友達の1人や2人はできているかなと思っていました(笑)

恋愛体質ではないから
恋愛をすることはないのではないかとは思っているけれども

気の置けない
気軽に相談が出来たり、ときには頼ったり
ご飯をごちそうしてもらったり(←これ大事)
そんなボーイフレンドが(何人か)居ると嬉しいなぁと思いながらも
なにもない5年間でした。

ぶううううーーーー

まぁね
自分が
されたこと(不貞行為)
したこと(慰謝料請求)を思うと
既婚男性には不用意に近づきたくない、
という気持ちは以前よりもとても強くなりました。

既婚男性の下心ありそうな言動を感じると
思いっきり引いてしまいます(笑)


義兄の急逝によって未亡人になった姉(60代半ば)は
「いくつになっても『下心』がないオゴリはない」と
私に諭してくれました。

そういう姉は
80代後半の取引先会社の会長に
ベンツでラブホテルに連れ込まれたそうです(驚!!)

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郵便料金の値上げが私に引導を渡してくれました。

今年を最後に、年賀状終いをしよう。

そんなことを考えるきっかけになった出来事が
秋ごろありました。

地方選挙の期日前投票に行ったとき
私に投票用紙を渡してくれたのが
次男(現在27歳)が幼稚園の時に一緒に役員をしたママ友でした。
(役所勤めというより、選挙の時だけの派遣パートをされているようでした)

「あ…。」私は気づいたのに彼女は全く気付いていません。
なぜなら投票券の氏名(名字)が離婚後のものだから。
お目にかかるのもかれこれ10年以上ぶり
彼女は次から次へと来る投票者に用紙を手渡す業務に集中しているようでした。

声をかけそびれてそのまま会場を後にした数日後、
近所のスーパーで彼女の姿を見つけました。
私は車で入店したところ、彼女は自転車で退店しているところ。
すれ違いです。

慌てて車を止めて後を追って声を張り上げてみましたが
気づかず行ってしまわれました。

彼女は毎年元日に年賀状をくれます。
もちろん私も元日に届くよう年賀状を出します。
お互い、直筆での近況を書いて。
(お互いその近況に対しての返信はまた一年後)

このままだったら年賀状に
「地方選のとき期日前投票でアルバイトされてたでしょ?」
「その数日後に〇〇スーパーでお見かけしましたよ!」
「久しぶりにお茶でもしませんか?」って書くんだけど

…それについての返信はまた1年後…( 一一)

やっぱ今すぐ伝えたいわ!とアドレス帳を開き
よくお目にかかっていた当時は
携帯メールのやり取りだったので
そのアドレスにテンション高くメールしてみました。





宛先不明で戻ってきました…。
携帯番号もありましたが、
この番号が今でも彼女の番号かどうかもわからない、と思うと
メッセージを送るのも躊躇われました。

なんだかなぁ…

年賀状「だけ」で繋がっている友達
それはそれで年1度の近況報告で
それが生存確認だったり
お引越しのお知らせだったり(ご主人の定年のタイミングで地元に戻られる方もちらほら)
「今年「こそ」会おうね~!」って書いてあるのに
もう何年も会ってない
(住所しか知らないから具体的な話に展開しない)


実は
そういう「年に1度だけのお付き合い」の人たちには
「離婚した」ということすら、伝えられていないのです。
離婚して5年、直後こそなかなかカミングアウトできず
職場でも未だに婚姻時の姓を名乗ってはいますが
(仕事上の不都合を考えてそうしたことについては後悔はしていません)

直接話ができる相手にはそのタイミングで
徐々に離婚したことを伝えています。

年に一度の年賀状のお相手には、
今年こそ会いたいですね、と言いつつ
結局それ以上の関係ではないのだな、と思うに至りました。

そんな関係性の人たちのために
年賀状の作成して
プリンターのインク補充しながら
印刷…
(離婚を告げている人と告げていない人
それぞれ差出人(私)の名字を分けるという
芸の細かさもさらにめんどくささを倍増する)
年末の忙しい時に25日まで投函!に追われて…

なんかねー
もういっかー
と思ったのですよ。
LINEなどで送れるように
年賀状を画像データで作成し、
SNSで繋がっている人たちには元日にSNSで送信、

住所しか連絡先を知らない方に関しては
元日に届くように年賀状を用意して

私のSNSの情報をQRコードで記載し
「ご登録いただけると幸いです」
「これからはメールやラインでのお付き合いをよろしくお願いします」と
送ることにしました。

先ほど、完成!
(最後だと思うと少し手書きメッセージも長めに、シールはったり
落款押したり、頑張りましたよ)

明日、投函します。
気になる年末しごと、ひとつ終わりました。
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前回からの続き…



3年8カ月ぶりに会った元夫は
「老けていました」
「(元々スリムでしたが)痩せていました」

が、
(写真を見た大学時代の友達も言いましたが)
「イケオジ」と言ってもよいくらいの
こざっぱりしたよい老け方をしていたように思います。

小一時間の対面でしたが
私は
挨拶と、すこし、言葉を交わしたくらいです。

孫を愛しそうに眺める元夫に
「(長男がこのくらいの時を)思い出す?」を尋ねたら
「思い出すなぁ~」「お風呂に入ったらいつもこんな(顔真似)表情をしてた」
と即答していました。

最後に別れるときにお嫁さんに
「ご両親には失礼をしていて申し訳ない、結婚式にも出られなくて…」と
改めて挨拶をして
その流れで
「母さんにも迷惑をかけて本当に申し訳ない」と
私に頭を下げてくれました。

今まで私に見せたことがない
「謙虚な姿」の元夫がそこにはいました。


そのことに少し、救われた気がしました。

私たちの離婚劇は
私がどっかーんと離婚を突き付けて
そのやり取りの中で
動揺しつつも常に上から目線の元夫に罵られるようなこともあり
(終始「お前」と言われ)

そのまま
(事務的に必要な最低限のやり取りはあったものの)
じっくりと離婚の件について会話をすることもなく終わってしまっていました。

一連の離婚のいきさつについて
元夫がどのような感情を抱いているのかも全くわからないままでした。

敢えて言うなら
当日の彼の言動から推察すれば
「俺はハメられた」ぐらいに思われていても仕方がないと思っていました。
(断じて、わたしはハメてはいないけど)


でも、3年8カ月ぶりに会った元夫は
少なくとも私に対しての恨みや憎しみは抱いていないようでした。

そのことを自分の肌感覚で感じ取ることができ、
私にとって長年の懸念が払拭されたことは救いになりました。

******************

その後、孫の1歳の誕生日を迎える前にも
もう一度、同じような機会がありました。

その後は、
パパ(息子)と孫二人でのお出かけができるようになったことから
お嫁さんは不参加となり
私もお役御免となりましたが

(決して和気藹々ではないけれど)
穏やかな時間を共有できたことはよかったと思います。


お嫁さんの本音としては
「孫が物心がつく頃には会わせないようにしたい」とのことですが

(小さい子供に「離婚」という説明をしたくない、
しづらいという気持ちはとてもよくわかります。
そして多分、私に対しての遠慮や気遣いもあるのだろうと思っています)

そんなこんなの「葛藤」「憂鬱」を
お嫁さんに背負わせてしまったことは
本当に申し訳ないなぁと思っています。
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パパに肩車してもらって
葉っぱに手を伸ばす可愛い孫の手
(可愛いお顔が写っているのでトリミングしちゃいました)

離婚したのが2019年(令和元年)
長男が(元夫の姓から抜け)
私の籍に入ってくれたのが2020年(令和2年)
長男が入籍したのが2021年(令和3年)
コロナで挙式が延期延期(2度の延期)になり披露宴ができたのが2023年(令和5年)
延期延期の間に第一子妊娠がわかり

私の「オバアチャン」デビューは
2023年(令和5年)の6月でした。

俗に言う
「『嫁』が産んだ孫より『わが娘』が産んだ孫の方が可愛い」
という言葉をなんとなく納得、と思って聞いていたのですが

生まれた孫は男の子で
なんとまぁ長男にうりふたつ!
(お嫁さんもお嫁さんのご両親も「うちのDNAが感じられない…(笑)」と言ったほど)

可愛い
ほんとうに可愛い。
自分の時とは違って余裕がある分
責任がない分(オイオイ)
可愛くて仕方ありません(笑)


可愛さと懐かしさと
そして不思議な感情に襲われました。
この子(孫)には元夫のDNAが受け継がれているんだなぁということ
同じだけの血のつながりで(親ではなく「祖父母」として)
同じ立場で語り合えるのは地球上に元夫ただ一人なのだなぁということ

「あの仕草、〇〇(長男)の小さいころにそっくりね」
「〇〇もあんな表情してたよね」
「この遊びが好きだったよねー何度もやってくれって言ってた」
「このお菓子が好きだったよね」
「いつも~してたよね」

ついつい懐かしい話の相槌を求めたくなる

そしてそれができない現状。
孫が生まれた瞬間もそこにおらず知らされもせず
新しい命の誕生にみんなが喝采しているその「輪」に
加われなかった元夫に、色々な感情を抱きました。

日によっては「可哀そうに」であったり
また別の日には「ザマミロ」であったり
なかなか私の中でも元夫に対する感情は整理されていないのだと思います。


結婚式に元夫を呼ばない、
お嫁さんも紹介しない、と自分で決めた長男でしたが


生まれる直前に(無事に生まれてもいないのにどうかとも思ったけど)
元夫から「出産祝」を渡されたこともあって
生まれたら会わせようと思う、と言いました。
(自分が「父親」になることで改めて「父親」としての元夫、
元夫と自分との関係性を考えたのかなぁと思います)

お嫁さんは難色を示しました。
(お嫁さんにとって会ったこともない元夫は、不倫して家庭を壊すきっかけを作った
女性としてもよい感情を持てない、そして自分の夫や姑を悲しませた人間として
かなり悪い印象だったようです)

もちろん私も諸手を上げて大賛成!という気分にはなれませんでしたが

孫に愛情を注ぐ人物は一人でも多い方が良い、と思ったことと
会わせるだの会わせないだの、私がとやかく言うことではないと思っていたので
静観していました。

かなり抵抗をしていたお嫁さんに
「わたし、付いて行ってあげようか?」と言い出したのは
お嫁さんが私に気を遣って会いにいけないのかな、ということもひとつ

あと、その場に居なかったらきっと
「父さんどう言ってた?」
「なんて言ってた?」などと聞きたくなってしまいそうで
(「自分は子育てをめちゃくちゃ手伝ってた」なんて大嘘つかれても腹が立つ、というのもあった)
それならば傍らで静かに観察しておこうかしら、と思ったのも事実。

他の方のブログで
お正月に別れたご主人のお誘いで
(もちろんご主人のお会計で)家族みんなで焼き肉を食べに行く、
という記事を読んでから
(決して元夫と元妻は和気藹々とはしてないけど…それなりに楽しそう)
そういう関係も悪くないなぁと思っていたこともあります。

そして、生後3か月のBABYがぐずった時のヘルプ要員として
新米ママに付き添うべきだろうと思ったのも事実。

意外な私の申し出に
長男は「…母さんがいいのならぜひ」
お嫁さんは「…いいんですか?一緒に居てもらいたいです」

ということで
孫が生まれて3か月、明日はお食い初めという日

離婚して(年金事務所で手続きのために会って以来)
3年9か月ぶりに、元夫に会いました。

2023年9月の出来事です。

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離婚してから大きく変わったな、と思うことは

「お財布のひもが固くなった」ということに尽きるかも、です。

決して裕福な家庭ではなかったけれど
元夫の収入の管理はすべて任されおり
(基本、私が働くことに理解がなかった元夫のおかげ?で)
パート程度のお仕事しかしていなかったけど
自分のお給料はすべて自分のお小遣い(元夫は私の収入も知りませんでした)

「散財」はしていないけれど
特に「節約」もしていなかった私にとって

契約社員程度のお給料でこれから生活していかねばならない、というのは
とてもハードルが高かったです。

離婚後に義兄が声をかけてくれて
月に何度か義兄の会社にお手伝いに行くことで
毎月のお給料+アルバイト代が入ることになり
(私の職場は副業はOKです)

更に数年経ってから
10年以上前に(離婚なんて夢にも思ってなかったころ)
両親に勧められて私の名義で購入していた不動産が
(購入時は銀行から借り入れ、賃料で返済に充てていた)
銀行への返済が終わり、純粋に賃料が私の収入になるようになりました。

いやいやそれでも、お気楽奥さまだったころに比べれば
余裕のある生活というわけにもいかず

☆ 衣料品を買わなくなりました。
  というかすごく、吟味して慎重に選ぶようになりました。
  特に靴。昔あれほど手当たり次第買ってたのに、と自分でも思う…。
☆ 無駄な食品を買わなくなりました。
  食材を無駄にすることがなくなりました。
  まぁ「買う」のも「食べる」のも私一人で完結するので
  かなりシビアにお買い物をするようになりました。
  お昼はコンビニ弁当だったのが、手作りするようになりました。

すべてにおいて
「ホントにこれ、必要かな?」「使うかな?」「代替品はないかな」
「ちょっと、考えてみてやっぱり必要だったら買おう」と
一呼吸置くようになりました。


実は、今まで家計簿が全く長続きせず、
どんぶり勘定の主婦人生だったのですが
とりあえず離婚してからは
Excelで「出ていくお金」だけを日々管理するようになりました。
現金、カード、電子マネー
毎日使った金額だけ入力していき(項目分けなど一切なし)
1か月で使ったお金を管理

別のシートに
締め日(給料日の前日)に
預金口座①の残高
預金口座②の残高
タンス貯金においてある現金
paypayの残高
すべてを足して締め日時点での私の全財産を計算するシートを作りました。
前月からのプラスがいくらか
年始からトータルしてのプラスがいくらか
目に見えるようにすると

貯金魂に火がついて「来月はもっと残高増やしたい!」と
意外に意地になる自分に気が付きました。
(とは言え増やすといっても月々微々たる金額ですが)


お付き合いに関してケチケチしてはいけないと思っているので
贈り物などには思い切って使います。

そんなとき役に立つのが
3年前から始めたデパートの積み立てです。




積み立ててデパートの金券になったものは
上のExcelの私の「全財産」の中には入っていないので
デパートでお買い物するときは
自分の現金が無くなっている、という感覚ではありません。

孫に気前よく「ミキハウス」や「ファミリア」を買ってやれるのも
友達の家に遊びに行くときの手土産に
「デパ地下スイーツ」を躊躇なく選べるのも
お正月のおせちをデパ地下で購入できるのも
デパートの友の会のおかげ(笑)

結局いまだに
デパートでは自分のものは買ってないかもしれません…


先日大学時代の友達に会うため隣県に出かけたのですが
新幹線だと倍以上かかるから、と在来線を乗り継いで行きました。
自分の中ではそれほど朝早い出発でもない限り
(新幹線→在来線にするために朝の暗いうちから家を出なければいけない、とかじゃない限り)
自分の時間で新幹線の金額分を代用する、感覚。
(帰りにすごくしんどかったら新幹線にしよう、とは思っていましたが
結局復路も在来線でぐーぐー居眠りして帰ってきました)

大学時代の友達には
めちゃくちゃびっくりされ
「そんなイメージじゃなかったのに」と言われました。
貧乏くさいのか…56歳のケチケチ移動…。

浮いた金額でおいしいもの食べたり、ちょっと躊躇するイイもの買いたいじゃん、
今はまだ体力と時間でカバーできるからね。

気の置けない大学時代の友に
「シングルになったから、爪に火を灯すように暮らしてるのよ」と言ったら

「えっらい派手な爪して、よぉ言うわ!よー燃えるやろ(笑)」と
笑い飛ばされました(彼女は関西人)

そうです。
新幹線代はモッタイナイけど
毎月ネイルサロンには通うのだ。

納得のいくお金の使いかたにこだわりながら
楽しく暮らしています。


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