50代からのシングル(シンプル)ライフ ~熟年離婚、しました。

結婚26年で熟年離婚しました。 弁護士の先生にもお世話になりました。 興信所の社長からは「探偵に向いている」と誘われました。 そんな離婚劇のあれやこれや… シングルアゲインのアラフィフの備忘録です。

離婚の原因

この夜から、眠れなくなりました。

毎朝4時くらいに目が覚め
あーでもない
こーでもないと色々考える日々が続きました。

元夫の不倫云々の追求はとりあえず置いておいて。

彼が、私を探っている理由はなんだろう、というのが不眠の原因でした。

自分がやっているように私も不倫をしている(かも?)、と思っているのだろう。
そして、彼はその「証拠」を躍起になって探している。
それは

何のため????

そこが、分からない。

「お前、不倫しているだろう!」と私に突きつけるため?
⇒有利に離婚したい?

万が一自分の不倫がバレたときの保険のため?
⇒お互いさまじゃないか、という落としどころ?⇒離婚はしたくない?

そして
私のバッグの中はどれだけ見られているんだろう
パソコンは?スマホは?
手帳は?財布は?
あの引き出しは?あの郵便物は?
通帳は?

自宅が全く、くつろげる場所ではなくなりました。

ノイローゼ、になりそうでした。

元夫が得体のしれないモンスターに思えて
そんな人間と一緒に暮らしている息苦しさ

朝、元夫とリビングで顔を合わせた瞬間、吐き気を催して
嘔吐いてしまったこともあります。

色々、考えました。
「なぜ?」の答えは元夫が持っているのですから
いくら考えてもそれは「推測」の域を出ないので
冷静に、分析、してみようと努めました。


2019年7月時点で元夫は60歳
年度末で一旦定年退職し、「嘱託」での勤務になっていました。

収入は若干減りましたが、それでも好待遇で
引き続き役職もそのままで
「役員待遇」という扱いまでいただいていました。
仕事内容もそのまま、責任のある仕事を任されていたので
以前と変わらず「出張」という
不倫旅行の隠れ蓑もバリバリ使えていました。

退職金はすでに支払われ、そのうちの数百万は元夫からの
「好きに使いたいから(俺の退職金だから)」という理由で
元夫の口座にスライドさせていました。
(これが不倫に気付いているときだったら、私ももう少し使い道を詮索したと思いますが
金額の多さに少し驚いたものの、素直にそちらへ振り込みました)


嘱託契約は1年ごとの更新で65歳まで。
「出張」という隠れ蓑はあと数年でなくなります。
そこから先はどうするつもりなのか
65を過ぎたら小さな会社を立ち上げたい、と言っているけれど
その会社を隣県(彼女の住んでいる県)に構えるつもりなのだろうか

そもそも、不倫相手の女性は10代のころからお付き合いがある方です。

これはもう「相性」がいいというのか
私としては「熨斗付けて差し上げたい糞男(コメント欄から引用させていただきました)」でも
二人はそれはそれは気が合うのであろう、
残りの人生を一緒に過ごしたいとは思わないのか、
思ってるでしょうよ

だとしたら…
「離婚」したいのか?
それとも
「離婚はせず、このままの状態で『おたのしみ』を続けたい」のか?



『不倫は継続しながら、結婚生活も続けていく』

それが元夫の理想とする生活だとするならば
私にとってそんな屈辱的なことあります?

もし元夫が「結婚生活」に執着するとすれば
ひとつだけ思い当たることがありました。

二世帯同居をしている=わたしは跡取り娘、なわけです。

今は元気な両親ですが
遠い将来、私が両親から相続するものが
幾ばくか、あります。
老後資金として世で言われているような金額を用意しておかなくても

年金と併せて、そこそこ暮らして行けるであろう
不労所得(不動産)をいつの日か、私が手に入れる未来、が待っています。
(それとは別に、親からの指示で、実は元夫に内緒で私は不動産(土地)の購入もしていました。)

今までの暮らしの中でも
私の両親からの金銭的な援助はある程度受けていました。
苗字こそ継いでいないものの
子どもたちを「内孫」と思ってくれ、教育資金などもいくらか助けてくれました。

私は甘えながらも申し訳ないと思っていましたが
元夫は「出せるんなら出してもらって当たり前」という考えの人でした。
何なら「もっと出してもらえないのか」的なことを言ったこともあります。
(夫の実家は裕福ではありませんでした。むしろ義両親にお金を無心されることもありました)

主婦としては
そこは私も悪いのですが
それほどお金に執着も無く、節約ややりくりをしっかりするほどでもなく
決して浪費家ではないし
身の丈以上の生活をするわけでもないけれども
のんきな大蔵省でした。
(家計は、任されていました。元夫はお小遣い制でした)

将来は、相続したものがあれば安泰、だと考えていました。

そこに元夫も便乗してくるのは、間違いありません。
夫婦なのですから。
彼にとっては私は「これからの老後の生活に利用価値のある、金の卵」なのです。

その金づるは手放さず
その金づるから出る金を使って
愛人とよろしくやっていく、というのが彼の今後の人生設計だとするならば。


申し訳ないけど
老後は金銭的な窮地に立っていただこう、
それが私ができる、そして元夫にとっては一番堪える報復だ、と考えました。

お相手の方と一緒になろうがどうしようが、
(その時点ではお相手が既婚なのかバツがついているのかは全く分かりませんでした)
お好きにされるといいわ、と思いました。

今の家(二世帯住宅)が父の土地の上に建っている限り

いくら揉めたとしても
「離婚」となれば

最終的に元夫は「持ち家無し」の高齢者になるわけです。
(そして財産分与をするとしても預貯金もそれほどありません、
それは私がのんきな主婦だったから。
これは意図していたわけではないのですが
彼にダメージを与えることになります。無い袖は振れないもの)

可哀想なことに、彼に実家というものもありません。
とんでもないご両親は生涯賃貸生活でした。
(勢いで結婚してしまったから、こんな大変な義両親だとは知りませんでした)

マスオさん(元夫)が
随分王様気分で26年間、私を押さえつけてくれましたが
それが、どのような基盤の上に成り立っていたのか、
思い知っていただこうと思うに至ったわけです。



私も十分わかっています。
友達にも言われました。

「あんた、実家の親(親の経済力)に感謝しぃや」

そうです。
金銭的な後ろ盾の計算ができていたからこそ、思い切り「離婚」に向かって
突き進む勇気が持てたのは否めません。


私たち夫婦(もう離婚したので「元夫婦」ですが)について
すこしお話します。

離婚に至った原因の中に
私たち夫婦のかたち(置かれた状況、というのかな?)、
というのも間違いなくあると思います。

まず年齢差は10歳 ( Σ(・ω・ノ)ノ! )
出会いは私が大学を卒業して就職した会社。
元夫はわたしの直属の上司でした。

「鬼課長」として有名な彼の下に配属され、
例年このポジションの女子社員は
女子トイレで泣く、というのが有名な話だった…

という元夫は
当時は一番の出世頭で、仕事ができる男性でした。
(鬼、というのは感情的に怒鳴るタイプではなく
静かにネチネチくどくどお説教が続くタイプの鬼でした)

大学を出たばかりの23歳にとって
10歳年上の仕事ができる上司、は死ぬほど怖かったけど
私にだけ(こっそり)優しくされると
優越感、というのでしょうか、
あれほど周囲から恐れられている人から特別扱いされる喜び、のようなものがありました。

私は典型的な「社交的女子」
元夫は「俺様的不愛想男子」
まさに正反対の二人ではありました。

一言で言うと
彼に押されて結婚に至りました。
入社して一年。
「お付き合い」もしないまま
「立場上、隠れて交際をして噂になったりすることは良くない」
「自分はもう30代だし、結婚しよう」

一足飛びにプロポーズされて
1年弱彼の下で働いてきて、
仕事ぶりを見ていれば、人柄は分かっている、と自分で判断し
交際0日
なのに…プロポーズに快諾して結婚に至りました。

あー
今の私なら当時の私に言ってやりたい
「付き合わずに結婚決めるってアホか!!」
「彼の実家や親族についても全く知らないのになにOKしとんねん!」
「その結婚、失敗やぞ!」

そして

私が結婚を決めた理由のひとつに
彼が「次男」だったこと、というのがあります。

私は親から「将来お婿さんを」「養子に迎えて」「ゆくゆくは同居」
とずーっと言い聞かされて育ちました。

優等生の私は親に言われている条件は大事だと思っていましたから
この人なら親も喜んでくれる、と思いました。

私が離婚を決めた時、母が
「あなたが結婚を決めた、と(元夫)さんを紹介してくれたとき、
この子(私)は、次男という条件だけで選んでしまったのではないか、と思った。
(それくらい私の好みのタイプではなかったし、年齢差もあり、学歴などの条件もよくなかった)
ずっと、将来は同居してくれる次男を見つけろ、と言い続けていたことを
申し訳なく思っている」と言いました。

確かに母からの洗脳はかなりあったということも自覚していますが


でも
27年前、
私は「この人だ」と思って、自分の意思で、元夫を生涯の伴侶に選んだのです。

24歳でした。

婿養子になる、
私の苗字を名乗る、いろいろと私の両親からの要望はありましたが

サラリーマン勤めの元夫の「プライド」や
元夫側の両親(が、名前が変わることを寂しく思うので、という理由で)のことも考え
ひとまず、私が普通に夫の姓を名乗り、

私の実家の土地(私の父の名義)に、二世帯住宅を建て
(玄関だけは共有ですが、1階(両親)2階(私たち家族)完全分離。
名義は私の父と元夫の50%50%)

サザエさんとして(元夫はマスオさん)新婚生活がスタートしたのです。

核家族とは違う
親世帯との同居。
夫の両親ではなく実の両親ということで
お姑さんに苦労されている方に比べたら、恵まれていることになるのでしょうが

やはり
それはそれで大変なのですよ。
実親と元夫との板挟みの生活
(それぞれが直接対決しない代わりに、言いやすい、感情をぶつけやすい
間の私にすべてぶつけてくるんだもん)

元夫の
「同居してやってるんだ」圧力……。
そもそも10歳年上の鬼上司です。

彼が不機嫌になることが怖くて
(手は出ません、怒鳴りもしません。ただ不機嫌になるのです。
静かに、不機嫌になるのです。)

彼の顔色を伺うような生活になっていきました。
わたしも
こどもも
わたしの両親も…

今では「離婚」はそんなに珍しくなくなった、とは言え

わたしの周りで「熟年離婚」はあまり聞きません。

ドラマの中のような「熟年離婚」
わたしにとってもそんな印象でした。

「離婚」って相当のパワーが要る
「生活を変えるほどのこと」…子供のこと、お金のこと…

夫と一緒に生きていくことは「苦痛」だけど
世間体や諸々を考えて天秤にかけると

「現状維持」しかないのだろうと、諦めていました。

私を苦しめていたのは『価値観の相違』

使い古されたような言葉ですが
『性格の不一致』
『人生観の相違』(これは蓮舫議員の離婚理由で語られていましたが素晴らしい表現だと思います)
これは本当にキツイ。

夫との価値観の違いを感じるようになったのは
子育てを通して、だったように思います。

それまでも「ん?違うな」と感じることは多くあったのですが
(選挙に行く、行かない、その言い分、などもそうです)
それでもそんなものなのか、
と合わせられるところは合わせるようにして暮らしてきました。

子どもが小さいころの子育ての方針、と言えば
「挨拶をしましょう」
「お行儀よくしましょう」
「手を洗いましょう」レベルなので、夫婦でそれほど「方向性」に差を感じることはないのです。

子どもが大きくなって

友達との関わり方や習い事への姿勢、
チームスポーツの中での考え方、
将来を考えた進路、勉強への考え方、
職業選択、働くということ…etc.

つまり
「人として」
こんな人間になってほしい

という教育をするステージになったとき

ことごとく、意見が合わないのです。
例えば「自分さえよければいい」
「やりがいのある仕事、というよりエリートになれ」
「俺のようなつまらないサラリーマンになるな(医者になれ)」
(チームの指導者のやり方が気に入らないと)
「俺が言ってやろうか」

それを子供たちにエッセンスとして注ぎこみたくない、
父親の自己中心的な発想が世の中の全てだと
わがままな自分本位が通る世の中だと思っては困る、

母親としてその不快感、危機感はとても重くのしかかりました。

息子たちには
「父さんがああ言ったけど、母さんはこう思う。あなたはどう?」と
滾々と話をしたことも1度や2度ではありません。

最初こそ、価値観のすり合わせをしたいと
夫と衝突しようともしましたが、
聞く耳を持ってもらえず
全くの平行線。

育ってきた環境が違うのだから、仕方がない、
彼にはそもそも「悪気」はないのです。
彼と
私の「ものさし」が違うだけなのです。
そこを責める方がおかしいのだ、
責めるべきは彼(元夫)をこのような人間に育てた姑なのか?

答えは出ませんでしたが

私はただひたすら
「私が自ら選んだ伴侶なのだから、この結婚を全うしなければならない」
ということ「だけ」を自分に言い聞かせながら生きていました。

DVや金銭トラブル、女性問題のひとつでもあれば
堂々と彼を責めることができるのに

『価値観の違い』のようなあいまいな理由で
子どもや親族を巻き込んで「離婚」に舵を切るわけにいかない

みんな多かれ少なかれ、夫婦生活に不満を抱えているのだろう、と
我慢、我慢、我慢…と
息苦しい毎日を過ごしていました。

そんなある日
本当に
ふと偶然に
とっておきのカードを手に入れたのです。

「これで、離婚できる」

そんな1枚のカードを。

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