50代からのシングル(シンプル)ライフ ~熟年離婚、しました。

結婚26年で熟年離婚しました。 弁護士の先生にもお世話になりました。 興信所の社長からは「探偵に向いている」と誘われました。 そんな離婚劇のあれやこれや… シングルアゲインのアラフィフの備忘録です。

離婚後の元夫

前回からの続き…



3年8カ月ぶりに会った元夫は
「老けていました」
「(元々スリムでしたが)痩せていました」

が、
(写真を見た大学時代の友達も言いましたが)
「イケオジ」と言ってもよいくらいの
こざっぱりしたよい老け方をしていたように思います。

小一時間の対面でしたが
私は
挨拶と、すこし、言葉を交わしたくらいです。

孫を愛しそうに眺める元夫に
「(長男がこのくらいの時を)思い出す?」を尋ねたら
「思い出すなぁ~」「お風呂に入ったらいつもこんな(顔真似)表情をしてた」
と即答していました。

最後に別れるときにお嫁さんに
「ご両親には失礼をしていて申し訳ない、結婚式にも出られなくて…」と
改めて挨拶をして
その流れで
「母さんにも迷惑をかけて本当に申し訳ない」と
私に頭を下げてくれました。

今まで私に見せたことがない
「謙虚な姿」の元夫がそこにはいました。


そのことに少し、救われた気がしました。

私たちの離婚劇は
私がどっかーんと離婚を突き付けて
そのやり取りの中で
動揺しつつも常に上から目線の元夫に罵られるようなこともあり
(終始「お前」と言われ)

そのまま
(事務的に必要な最低限のやり取りはあったものの)
じっくりと離婚の件について会話をすることもなく終わってしまっていました。

一連の離婚のいきさつについて
元夫がどのような感情を抱いているのかも全くわからないままでした。

敢えて言うなら
当日の彼の言動から推察すれば
「俺はハメられた」ぐらいに思われていても仕方がないと思っていました。
(断じて、わたしはハメてはいないけど)


でも、3年8カ月ぶりに会った元夫は
少なくとも私に対しての恨みや憎しみは抱いていないようでした。

そのことを自分の肌感覚で感じ取ることができ、
私にとって長年の懸念が払拭されたことは救いになりました。

******************

その後、孫の1歳の誕生日を迎える前にも
もう一度、同じような機会がありました。

その後は、
パパ(息子)と孫二人でのお出かけができるようになったことから
お嫁さんは不参加となり
私もお役御免となりましたが

(決して和気藹々ではないけれど)
穏やかな時間を共有できたことはよかったと思います。


お嫁さんの本音としては
「孫が物心がつく頃には会わせないようにしたい」とのことですが

(小さい子供に「離婚」という説明をしたくない、
しづらいという気持ちはとてもよくわかります。
そして多分、私に対しての遠慮や気遣いもあるのだろうと思っています)

そんなこんなの「葛藤」「憂鬱」を
お嫁さんに背負わせてしまったことは
本当に申し訳ないなぁと思っています。
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パパに肩車してもらって
葉っぱに手を伸ばす可愛い孫の手
(可愛いお顔が写っているのでトリミングしちゃいました)

2019年12月9日に
年金事務所の前で別れて以来

1キロほどの距離に住んでいる元夫とは
偶然会ったことも
こちらから一方的に「見かけた」こともありません。

息子たちには元夫から定期的に連絡があるようで
彼らが時々元夫の近況を教えてくれます。

年度替わりに少し気になっていたのは
元夫の嘱託契約…
1年更新で最長5年(65歳の誕生日まで)働き続けることになっていましたが
このコロナ禍の不況で
契約を打ち切られてはいないかと…

私の知ったことではないのですが
ほぼ身ぐるみ剥いで追い出しているため
彼のこれからの生活が立ち行かなくなると
息子たちに迷惑がかかるのではないかということは
気になっています。

次男によると
「年度末にLINEが来て『荷物送るから』って送ってきてくれたよ」

中身は?

「駄菓子とレトルト食品と、カップ麺とか。
多分5000円分くらいあると思うけど、それなら現金の方がよかったわ
飽きるし、結構賞味期限切らしてしまっていつも処分することが多いから」

「父さん、LINEでなんだか辛気臭いこと書いてた」

何て?

「えっとね…ああ『粛々と生きています』だって。
自虐的というか、同情買う、っていうか…なんだかなー」
「なんだかちびまる子ちゃんの『藤木君』が重なるなぁ」


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藤木君、って…(-_-;)
「卑怯」の代名詞やん…


なんとなく「ふふっ」と思ってしまったわたしは
いじわるでしょうか。
元夫が楽しいシングル生活を謳歌している、と聞いたら
やはりそこはモヤモヤしたと思うのです。

長男が入籍することと
私の苗字を名乗ることにしたことを報告したときも
ショックを受けていたようだったと聞きました。

相手の女の子(お嫁ちゃん)について
「どんな子?」と尋ね、写真を見せたそうですが…

「会ってみたいな…」
「会いたくないか…」と言ったそうです。

そして
「自分のせいで両親が離婚、なんてことになってしまっていて
申し訳ない」と言ったそうです。

来年に控えている挙式披露宴に
元夫を呼ぶのか
(長男は「悩むところだけど、呼んだとしても来られないだろう」と言っていました。
参列しても私や私の両親がいる席で針の筵でしょうし、ねぇ)

次男は元夫の姓を名乗ったままですから
親族のテーブルの座席表も
(元夫が来たとしても来なかったとしても)
なんだか妙な感じになりそうです。


元夫関係の親族(元姑や元義兄夫婦、元甥や元姪)は一切呼ぶ気はないようですし
私の親戚関係も義兄が亡くなってしまい
寂しいテーブルになりそうなのが悲しいところです。

離婚の歪みは
そんな些細なところで影を落としている気がします。
(気にしすぎなのかも知れませんが、それについては息子たちに対して
申し訳ないと思っています)

仕事から帰ると自宅の留守番電話に
住宅メーカーからメッセージが入っていました。

「住まいの点検にお伺いしたいのですが…またお電話します」

築26年の我が家ですが
メーカーさんは定期的に訪問してくれています。
水道やガス回りなどは不具合があったときはその都度業者にお願いしていますが

ドアや窓の立て付けなどは住宅メーカーさんに見てもらったりしています。

「ウイークデーの昼間に電話してこられても…次回も留守電だろうなぁ」
(担当者ではなくメーカーのお客様コールセンターのようなところ(他県)からの電話でした)

と思っていたら
「先日もお電話いたしましたが、訪問日のご希望を伺うお葉書をお送りさせていただきましたので
返信の方にご回答いただいて、希望の日にちをご記入ください」
という留守電が入っていました。

あー、よかった
はいはい、そうね葉書で返信すればいいのね
と思ってから…


ちょ、ちょ待てよー!!!!


「お施主様」は元夫でした。
そして彼は郵便物の転送手続きをしています。

ので
彼宛の「住まいの点検葉書」はヤツのマンションに届いてしまうではないか!

実は元夫は離婚後当分(私が知っている限り2020年8月まで(離婚は2019年11月)は)
住民票を動かしていませんでした。
(つまり、今私が住んでいるところに置いたままでした)

離婚後しばらくは「郵便物が届くから受け取って欲しい」という連絡がありましたが
その都度
「どうして住民票動かさないの?」と尋ねても
「もう少し…会社にも(離婚のこと)言えてないし」と言い続けていました。

会社に内緒にしてても住民票は動かせるだろ、とは思いましたが
じゃあせめて郵便物の転送手続きをしろ、とも思いましたが
そういうことが出来ることすら知らないのか、と
敢えて教えていませんでした。
(私は、自身が大学生活を終えて実家に戻るとき、
同じように息子たちが大学時代の住まいから転居するときに
その手続きを普通にしていましたから、まさか知らないとは思っていませんでした)


決定的になったのは
2020年5月のコロナ禍における「定額給付金」の支払いのとき。

長男に「給付金の郵便物が届くと思うから転送してほしい」と依頼があり
長男はまず
「え?まだ住民票動かしていないの?」
「郵便物の転送手続きしたらいいのに」と教えたそうです。

10万を間違いなく受け取りたかったのでしょうね
60歳過ぎるまで「郵便物の転送手続き」ひとつまともに知らなかったアホ元夫は
早々に手続きをしたらしく

その時期からピタッと彼宛の郵便物は我が家に届かなくなりました。

最後にやり取りした2020年8月、
私が会社の総務の方のアドバイスで次男を「扶養家族」に入れていたことで



区役所から
「市民税・県民税の扶養親族重複についての確認」の書面が届き
(元夫と私の双方に届くようになっていました)

私としては区役所に事前に問い合わせて
「こういう書面が届くまでお待ちください」と説明を受けていたのですが

元夫にとっては「根耳に水」ということで

(自分が扶養していない、ということが決定すれば)
追徴課税になり、
彼が心配していたのは
「そうなることで会社に「離婚」の事実がばれてしまうのか」ということでした。
(どんだけ卑怯なんだ)

扶養については「(12月31日の時点では)私が扶養してたという事実」を
認めて取り下げをしてくれましたが

その時点(2020年8月)では
離婚したことも会社に話しておらず
住民票も動かしていない、と言っていました。

その後はどうなったのかは知りませんが
年末(2020年12月)に長男が会ったときには
とうとう会社の上層部だけには離婚を報告したと言っていたそうです。
(市民税・県民税の件で言わざるを得ない状況になったのかもしれません)

住民票については分かりません。

何故、彼がそれほどまでに住民票を動かしたくないのか
最後まで良く分かりませんでした。
何度か本人に直接尋ねましたが
「…もう少し待ってほしい」としか言わず
結局良く分かりませんでした。

*************************

離婚のときから
長男の「母の氏を称する入籍」、
長男の入籍(結婚)、と
(間には次男の就職のための転居も)

今までにない勢いで区役所の
戸籍係の窓口に訪れ、
戸籍謄本や住民票を目にする機会が多かったです。

そんなとき
住民票の「世帯主」が自分であること(そして独りぼっちであること)
戸籍の「筆頭者」が自分であること(そして独りぼっちであること)
(長男が私の苗字を名乗って、結婚して新戸籍を作るまでの1カ月だけは一人ではありませんでした)

寂しく、思ってしまいます。

友達は
「そんなの、気にして見たこともない。気にし過ぎよ」と言いますが

私自身も今まで気にしたことすらない
そんなところがすごく気になるということは

やはり
「離婚した」という事実がまだ私の中では
マイナスの事実なのでしょうね。



相手女性との示談も成立し

「もうすべて終わったこと」と
(無理やりにでも)割り切って
前に進んでいこうとする中で

元夫から時々、LINEが入っていました。

「届く予定の郵便物を受け取って欲しい」だの
「届いたら知らせて欲しい」だの
(だーかーらー!早く自分の住民票を移動させればよいのに!!)
もありましたが

そのほとんどが3月に大学を卒業して
就職のために上京する次男のことに関して、でした。

「住まいは決まりましたか」
「卒業旅行はいつ出発ですか」
「なにか手伝えることがあったら言ってください」

溺愛している次男に対して
申し訳なさも手伝って
(罪滅ぼしなのか)
自分が何かしてやれることはないかと
強迫観念のようにグイグイ「心配の押しつけ」をしてきました。

次男が(多分、ですが、私への遠慮もあって)
元夫からのLINEを既読スルーすることが多かったようで

結局、業を煮やして私に尋ねてくる、というパターンでした。

特に
元夫が家を出ていくときに荷物を運ぶのに使ったスーツケース
(次男の部屋のクローゼットから持ち出した「中」のスーツケース)




卒業旅行に使うだろうから渡したい、
取りに来るように伝えているのだが、返信が無い
出発まであとわずかなのにどうしようか、と何度も連絡がありました。

次男も1対1で会うのも勇気が要るのだろう、
私への気兼ねもあるのかもしれない
そう思っているところに

身内に不幸があり、
私がお通夜に行かなければならない夜
ちょうど長男も帰省していたので

私から元夫に連絡し、
このままでは次男から連絡をしないだろうから
今夜、私も留守にするので
元夫と長男、次男で晩御飯でも食べに行ってはどうか
その時にスーツケースを持ち帰らせてやってくれと言いました。

2020年2月の初旬のことです。

離婚後初めて元夫と顔を合わせる息子たち
どんな話になったのかと面白くない気持ちで過ごした夜でしたが

外食をしたあと
元夫の新居のマンションに招かれ
父子3人で話をしたそうです。

まず、改まって元夫から
二人の息子に今回のことについて謝罪があったそうです。

その後は、
一人の生活にいつまでも慣れないんだ、とか
食事はもっぱらお惣菜の買い食いかお鍋で済ませている、
洗濯が一番大変、
会社にはいまだに言い出せずにいる、
などの話をしたそうです。

元夫が毎年会社の取引先からもらっていたカレンダーで
私が「使いやすい」ととても気に入っていたものがあったのですが

それを
「これ、母さんが毎年楽しみにしていたから」と託けていました。

次男が帰宅して渡してくれたとき
「うわー!これ使いやすいヤツ!!」と思わず喜んで受け取ったら

次男がすかさず
「あ、いいのか…」とつぶやきました

「父さんから渡されるものは絶対要らない、って言うのかな
嫌な気持ちになるんじゃないのかな、って思った」

そうね
そうよね

その時は素直に(カレンダーが)嬉しかったのです。

一緒に託けられた貰い物のお菓子は
(多分総務のお局さまが「茉莉花ちゃんにあげて」と下さったのでしょうが)

「毒が入ってるんじゃないでしょうねぇ…」と
当分手をつけませんでしたが
職場の仲良しの同僚さんと検証したあと、二人で食べました。


カレンダーに関しては
本当に毎年お気に入りだったので
離婚してもう手に入らないことが残念でなりませんでした。

年末になると届くお歳暮や
会社から持たされるお届け物のおすそ分け、
カレンダーなど
(物品ばっかりだ!)

例年あったものが無くなって

しみじみ

あ、我が家は「主人」が居なくなったのだなぁと
ふとした時に感じることは多かったです。

仕事のことや人間関係のことお金のことなどは
それまでも元夫に相談したことはなかったので
心細く思うことはありませんでしたが
(そっちの方が重要ですが(笑))

息子たちのことや親戚づきあいのことで相談する相手
家電や車の調子がおかしいことを相談するする相手
(これは買い替えかしら?直るかしら、うちで直せるかしら?)

ふとしたときの相談相手が居なくなったのは
生活していくなかで心細さを覚えることがありました。



特にこの後控えている

次男の卒業旅行や
就職のための新居探し、上京などなど
元夫に「俺が居ないと何もできない」とは思われたくなかったので
(特に元夫には東京の土地勘はありましたが
私はとんと疎かったので、とても不安ではありました)

片親ではあるが
ちゃんとしなければならない、という気負いだけは
強く持っていたと思います。

年金事務所で会ったとき

元夫は健康診断で引っかかった
「大腸内視鏡」の検査を数日後に受ける、と言っていました。

その数日後(の厳密には次の日)

次男が
「父さん、1泊入院してたんだって」と教えてくれました。
どうやら
内視鏡の再検査で大腸ポリープが見つかり
その場で切除をし、1泊入院をしたらしい。
そして
「1泊入院をしていた」
「が、大したことは、ない」
「今日退院する」
という連絡を次男にしてきたらしいのです。

病院は、我が家からほど近い胃腸科の大きい病院で
両親も
私も
元夫も以前からお世話になっているところでした。

次男から聞いたときは仕事から帰った時間でしたので
「へーぇ、そうだったの」しか言うこともなく

とりあえず
もう退院したのか、と思いました。
(次男も病院を聞いたからと言って駆けつけたわけでもなく
そっかぁという感じだったようです。
ま、若干22歳の大学生ですし
「なにかしてほしいことはある?」と尋ねるほど
気も回らなかったのだと思います)

でも
すこし考えてみると

「大腸ポリープがあったので切除しました」

(その病院は全身麻酔で施術するので、目が覚めた時は「切っちゃいましたよ」と事後報告になります。
そういう可能性については、事前に同意書を書かされることは私も経験したことがあるので知っています。
なので事前に「念のため1泊の入院準備をしてから来院するように、家族に後から持ってきてもらえる人はそれでも可」と説明されます。)

「ということで1泊入院になります」
「で、荷物は?ご家族は?」
というやりとりが病院側とあったハズです。

元夫は
「家族は、いません」と言ったのでしょう。
そして誰も駆けつけてくれることもない病室で
一晩過ごしたのだ、と思いました。

それは
Xデーからこっちの元夫には
相当堪えるシチュエーションだろうなぁと思いました。

「踏んだり蹴ったり」とはまさにこのことだ、と思いました。

家族を失くし、一人で生きていく自分
今後年老いた自分、
を実感した寂しい夜だったのではないでしょうか。

当時の私は
まだ怒りの炎がめらめらと燃えていたので
「ザマーミロ」とすら思ったのですが
こうやって書いているとすこし可哀想にも思えます。

まぁ心配してもらいたくて
唯一ねこっ可愛がりしていた次男に
(敢えて言わなくてもいいのに)
連絡をしてきた当たり、甘えてるな、とも思うのですが


後に(随分経って)判明したところによると
実は麻酔から覚めて1泊入院の事実を告げられた時
やはり「緊急連絡先」的なところを書けと言われ
「社会人」である長男を頼ったらしいのです。

ということで
入院の事実を一番に知らされたのは
転勤先の地に居る長男だったそうです。

普通だったら(元夫が予想していたパターンだと)
長男が私に「父さん、ポリープあったらしくて、今夜は1泊入院するそうだ」と
連絡し、
(もしかしたら優しい私が)「大変だったね。何か困ってることある?」
(病院は我が家の近所だし)
という流れがアリ、かも、と思ったのかもしれませんが

なんと長男、
私がその話をするまで(多分1カ月近く後)一言も言いませんでした。
深い想いがあっての沈黙、というより
「あ、そうだった。忘れてた。」的な感じ。



元夫としては
長男に知らせた…

誰からも(気遣いの)連絡もない…

あまりに寂しすぎて
「これから退院するけど大丈夫だから」

みたいな
「で?」というタイミングで次男に連絡してきたのではないかと思われます。



優しい私は
その週末、
スーパーで消化が良くてすぐ食べられるようなものを買って
自宅に届いていた元夫宛てのお歳暮と郵便物と一緒に
紙袋に入れ、元夫のマンションのドアにかけてあげました。

事後報告した母には「未練がある、と思われる!」と叱責されましたが

私としては「逃した魚は大きい」と思わせてやりたい、という
意地の悪い気持ちもあったと思います。
(それがなくてもお歳暮はドアにかけようと思っていたのですが)

元夫からは
「気遣いがうれしかった、ありがとう」とLINEが届きました。

後に聞いた話ですが
その後の体調は2週間ほどすぐれず、
微熱と下痢に悩まされて年の瀬を迎えたようです。

元夫にとっては
なかなかのタイミングで
「シングルになった早々に突きつけられた厳しい現実」
(男性シングルが病気になったときの大変さ)
だったのだろうと思います。

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