50代からのシングル(シンプル)ライフ ~熟年離婚、しました。

結婚26年で熟年離婚しました。 弁護士の先生にもお世話になりました。 興信所の社長からは「探偵に向いている」と誘われました。 そんな離婚劇のあれやこれや… シングルアゲインのアラフィフの備忘録です。

本を読んでおもうこと

iPhoneの機能のひとつである
「スクリーンタイム」は
どのアプリをどの程度使用しているかを確認できる機能です。

最初の設定なのかな
特に知りたくはなかったのですが
毎週日曜日の朝に1週間のレポートが通知されます。

ワタクシ、けーっこうスマホを見ている時間が多いことは自覚していました。
が。

あるとき
1日のスマホを見ていた時間の平均が9時間弱だったとき

「それって1日の3分の1じゃん…」

1日24時間のうち3分の1は出勤して仕事してます。
8時間とまでとはいわないけれど
そこそこの睡眠時間も確保してます。

ってことは仕事以外の起きてる時間ずっと
スマホを触ってるってこと?

友達何人かにその話をして
「動画とか見てるとそんくらいいっちゃうかもね」と
慰められたものの

ワタシ、スマホで動画見ない。
youtubeもアマプラもTVerも全く、見ない。
(ほとんど見ないけど、でも見るときはスマホじゃなくてTVモニターで見る)

つまり
8時間もの時間、毎日私がしてるのは
① スマホゲーム(ロイヤルマッチ一択)
② ネットサーフィン(もう死語なのかしら)
③ SNS(ロム専)

がほとんどです。

つまり「積極的に誰かと交流してるわけでも、ない」
LINEで延々やり取りしてるとか
メル友がいるとか
マッチングアプリ的なものやってるとか

そういうのはゼロ(ある意味寂しいな)

57歳のオバサンがスマホ依存症ってちょっとどうよ、と思ったわけです。
スマホで私が見ている主なもの
① 贔屓の野球チームのニュース
② 地元のニュース
③ 地元のインフルエンサーのブログ
 (新規開店・イベント・テレビ情報などの情報収集)
④ 楽天・Amazonなどの通販サイト
⑤ SNS

この ⑤ SNSは 
知り合いのFacebookであったりInstagramであったり
みなさまの近況を拝見する、というのもありますが
(わたしもゆるーく更新したりもしていますが)

自分は全くやっていないけど
見始めると止まらないのが「Threads」

Instagramを見ていると
いつのまにかリンクに飛んでThreadsを見ていることが多いです。

見ず知らずの人のつぶやき

会ったことも無い
どこに住んでるかもわからない人の身に起こったこと
ついつい続きが気になって追いかけて読んでしまう。

まさに過去の私のように
配偶者の不倫に気づいてしまいました、これからどうすれば?
なんていう内容も気になります。

そう、かつての2ちゃんねるみたいな感じでしょうか
ご本人の進捗もさることながら
周囲の人たちがどのように捉えて
どんなアドバイスをしているのかも含めて
なかなか見るのを止められません。

「あー、そういう考え方(見方)もあるかぁー」
「いや、それは穿った見方すぎでは?」
「え?世の中ではそれがスタンダードなの?」
「最近の若い人の感覚ってそんな感じなの!?」

一定数
「私の理解の範疇を超えている、まったくわからん」
という考え方の人がいらっしゃるのね、
ということも
よくわかります。

その時々で無責任に
「嫁の立場」であったり「姑の立場」であったり
「娘の立場」であったり
「保護者の立場」であったり
「先生の立場」であったり
「雇用主(先輩)の立場」であったり
「雇われた方(後輩)の立場」であったり


結構感情移入して
読んでいるうちに
あっという間に時間が経っています。

でも。
ちょっとスマホから離れる時間を作ってもいいかもしれない
というか
そうしよう、と思い立ちました。

ということで久々の読書習慣。

そもそも私はかなりの本好きで
趣味「読書」と言ってもよい人生を送ってきました。
(多分40代前半まで)

読書タイムはベッドに入ってから寝るまでの時間
夢中になりすぎて2時3時、なんてこともザラでしたが…

いつの間にかベッドにスマホを持ち込むようになり
すっかり活字から遠ざかってしまいました。
集中力も続かなくなった、という自覚はあります。
本読んでてもすぐスマホに持ち替えてしまう…。

寝る前にスマホ見るのって良くないんですよね。
でも枕元のスタンドも点けなくてもよくて
片手で事足りるスマホをついついベッドに持ち込んでしまいます。

仕事の待ち時間(相手の都合で訪問先での時間調整)
病院の待合室
否が応でも「つぶさなければならない時間がある」とき
意識して本を持ち歩くよう心掛けました。

本は、図書館で借りています。
スマホに読書記録を登録できるアプリをダウンロードしました。
(これまたスマホ依存かよ(笑))
読み終わった本を登録できるのでモチベーションにもなります。

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以前はサスペンス、推理ものが多かった印象がありますが
今は大衆小説、連作短編集など
なんとなく読んでいてほっこり、的な小説を選ぶようになりました。

7月からアプリに読了データを入力するようになり
現在29冊。
1週間に1冊強くらいのペースで読めているのかな、と思います。

お気に入りの作家さんを見つけて集中的に読んでみたり
ネコが描かれている小説を選んでみたり
最近では「墓じまいラプソディ」なんて身につまされる小説も読みました。

小説を通して新しく知ることもたくさんあり
「これは!」と思うお気に入りの言い回しなどにもたくさん出会えます。
ああ、こういう表現をすれば
オブラートに包みながらも核心を突けるな、とか
こういう表現で自分の気持ちを言語化すればいいんだな、とか

そう
「語彙が増える」!

読んだ本は少しずつ自分の中に積み上がっていると実感しています。
(少しずつ、だけどね)



久々に本を読むようになって気づいたこと。
ハードカバーの単行本が減ってる…
新刊の小説でもソフトカバーのものがほとんどです。
これは、読書中にうたた寝をして
固い表紙が顔面を直撃していた私にとっては「改良」だと思いました。
でもこれは本が売れなくなったからの副産物らしいです。

以前両親の介護について
本を借りてきたと書きましたが
今の私の心に響いたフレーズを
(というか色々しんどくなった時に思い出すフレーズを)
備忘録代わりに
いくつか書き記しておきますね。

***********************************

『介護する人、される人のきもちがわかる本』
北川 なつ マンガ・著 / 柳本 文貴 監修
ISBN:9784023333031
定価:1210円(税込)

※ 親にせっかくもらった人生を
  大切にするのも恩返し。
  介護中も、介護が終わった後も、
  自分の人生があることを忘れずに。


※ ネット検索をするときは
  希望のある言葉を足すのがポイント
  「認知症 大丈夫」
  「がん 共に生きる」など。


※ 親が介護で与える試練は
  子どもをもう一段落成長させるための
  最後の仕事なのかもしれませんね。


※ 「自分さえ我慢すれば」や
  「言っても無駄」はまちがいのもと。
  波風を立てた後に
  良い家族関係を作り直せることもあります。


※ 目の前の介護されている人は、
  20年、30年後の
  あなたの姿だと思って、
  寄り添うことができたらいいですね。


***********************************


ひとつ懸念は
老眼との闘いです。
コンタクトと100円ショップの老眼鏡と
近視用の牛乳瓶の底みたいな眼鏡と
いろいろ持ち替えながら
以前よりはかなり苦労しながら読み進めています。

お勧めの本があったら教えてください。

という本を読みました。

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2月に義兄を亡くした姉ですが
5月頃から現実に目が向くようになったのか

寂しい寂しいを連発するようになりました。

姉の場合は義兄とは仕事も一緒だったので
ほぼ24時間一緒と言っても過言ではありません。
義兄の業務は外回りだったので
日中事務所に居ることも少なく
ウイークデーは夜遅くまで帰宅しなかったようで

寂しさが増すのは週末のようでした。
一緒に買い物に行ったり
ドライブに行ったり、そんなパートナーがいなくなり
何をして過ごしたらよいのか
ぽかん、と空いた時間を空しく思って
途方に暮れているようです。



そんなとき私は

突然、強制的に幕を閉じさせた私たちの結婚生活だったけど
元夫とは一緒に何かをするとか
一緒に出掛けるとか
〇〇については元夫にやってもらってた、とか
任せっきりだった、ということが全く無く

姉のような「ぽっかり感」は全くなかったなぁと思うのです。

家事も手伝ってくれることもなかったし
(唯一、数年前からごみ捨てだけは(頼んでもいないのに)やってくれていましたが
本当に、それだけです。)
車出しをお願いしたこともなかったので
(家にいるときはいつもアルコールが入っていましたから)


何かを一緒にできなくてさみしいとか
居なくて困ったとか
改めてありがたさが分かったとかいうこともありません。



そんな姉に
何か話してあげられる内容が書いていないだろうか、と
図書館でこの本を手に取りました。

著者は医師で
私たちよりはるかに多くの「命の灯が消える瞬間」に立ち会われていて
だからこそ
「科学(医学)では説明できない現象」がある、ということを
感覚的に信じている、ということでした。

肉体に「死」は訪れるけど
「魂」は生き続ける。

例えば体は「スポンジ」のようなもので
そこに宿っているのが(目に見えない)魂、
時がたてばスポンジは古びて役に立たなくなる日が来ます。
その時に魂は解き放たれて自由になる。
魂から取り残された肉体、そこには何も遺っていません。
だから「遺された体」と書いて「遺体」と読む

スポンジの限界(肉体の死)にはそれぞれに持って生まれた
死の頃合いがあり、大きな力によってそれは決められているのではないか、と
書いてありました。

それは私も3.11の大震災の時に思いました。
1メートルの差、1分の差が生死を分けていて
「いい人だったから」助かったわけでもないし
「もう十分長生きしたから」亡くなったわけでもないし

きっと生まれた時から
神さまだけが知っている「寿命」というものがあるのではないか



先日亡くなった元日本ハム監督で野球解説者の大島康徳さんが
亡くなる前のブログで

『命には
必ず終わりがある

自分にもいつか
その時は訪れる

その時が
俺の寿命

それが
俺に与えられた運命

病気に負けたんじゃない

俺の寿命を
生ききったということだ』

と書かれていましたが、
きっと義兄も義兄の「寿命」を生ききったのだと、思っています。

そして魂は、とても素晴らしい「死後の世界」に居るのだそうです。

著者の説明のイメージは
「現世」と「あの世(死後の世界)」は大きな競技場のようなもので

私たちはフィールド内で「人生」を全うするために
走り続けています。
観客席は「あの世」で亡くなった人たちが見守りながら声援を送ってくれています。

グラウンドと観客席の間はマジックミラーで仕切られており
こっちからは向こうが見えないけど
あっちからは見えている

自分を見守ってくれる霊を信じて
一生懸命自分の寿命を生きること、
それが私たちの使命なのだと、

姉に伝わればいいなぁと
話してみようと思っています。

どこか(新聞?テレビ?…思い出せない(>_<))のブックレビューでお勧めされていた本


武田友紀さんの「繊細さん」シリーズ。

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私自身「わたし、繊細なの」とは言えないケド
でも実はこの「繊細さん」なのではないかと思い手に取ってみました。

繊細さん とは…

HSP(エイチエスピー)
英語でHighly Sensitive Person(ハイリ―・センシティブ・パーソン)の略。
「人の気質」を表す名称で、非常に繊細で敏感な人のことをさします。

特徴としては

①物事の考え方が深い:Depth of processing

②刺激に敏感である:Overstimulated

③共感しやすい:Emotional reactivity and high Empathy

④感覚が鋭い:Sensitivity to Subtleties

の4つがあるそうです。

5人に一人はこの「繊細さん」だそうなので
特別珍しいことではなさそうです。

私はこの①の考え方が深いせいで
「ほかの人はそこまで考えないよー」ということまで気にしすぎて
自分を追い詰めているなぁと感じることが多いです。
人の褒め言葉を深く考えて
あろうことか「嫌味で言ってるんじゃない?」などと
考えてしまうところがあるなぁと思います。

そして婚姻中
「元夫が不機嫌になること」がとてつもなく恐怖でした。
それも「繊細さん」の特徴のようです。

一時期
渡辺淳一の「鈍感力」という本が流行ったことがありますが
私にも「鈍感力」があれば…と思ったことは多々あります。
気にしすぎー、と言われることも多いです。

繊細さんの本の中に
「幸せを増やすポイントは『成果主義から一歩外に出る』」という記述がありました。

幸せは、主観の世界にあるもの

成果主義は、客観の世界にあるもの


そして成果主義は
自分の気持ちよりも結果が重視され
「世間や他者がどう判断するか」という他者視点が中心。

成果にとらわれ過ぎると、
満たされる幸せが
「無駄なもの」「生産性がない」「役に立たない」として追いやられ
見えなくなってしまう。
「成果を出す自分でなければならない」
「趣味でも仕事でも、他の人よりうまく出来なければ意味がない」
など、自分が成果に囚われていたことに気づき、
「私は私でいいんだ。自分の幸せを大切にしていいんだ」と安心したとき
変化が起こる、と書いてありました。

そして
幸せを増やすポイントは
「繊細さは、まず自分の幸せのために活かす」ということだ、とも。

お天気がよくて気持ちいこと
ご飯が美味しいこと
道端に咲く花の香りに気付くこと

そのひとつひとつを
しっかり喜び味わい楽しむ。

以前「夢中になれることを探している」という記事を書いたとき
コメントで『そんなに考えすぎないで、本能のまま生きてください』
というお言葉をいただきましたが

まさに、その通り。

周囲の言葉や顔色を気にして
周囲から見て「幸せで充実したわたし」で「居なければならない」と
肩に力が入っているのです、わたし。

俗に言う
(傍から見て)
「リア充」でなければならない、と思い込んでいるのでしょう(笑)

これからは少し意識して

のんびり
まったり
自分が「幸せだなぁ」と感じる時間を大切にしたいと思います。


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