50代からのシングル(シンプル)ライフ ~熟年離婚、しました。

結婚26年で熟年離婚しました。 弁護士の先生にもお世話になりました。 興信所の社長からは「探偵に向いている」と誘われました。 そんな離婚劇のあれやこれや… シングルアゲインのアラフィフの備忘録です。

新しい家族のかたち

父の逝去に際しては
母の希望により(というか相談もなく強引に決定されていました)
私が喪主を務めました。

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やってみてしみじみ思う
人が亡くなり、送る、というのはなんと大変なことか!
初めての経験だったのでなおさらだったのかもしれませんが
(母も葬儀を出す側は初めてでした)

危篤から死去
そこからノンストップのジェットコースターに乗せられたような3日間でした。
(連日すごい頭痛で毎日ロキソニンを飲みながら過ごしてました)

なんならその前から病院への見舞い、付き添いや
仕事の調整などなど
それなりに非日常の多忙な日々を送っていて
寝不足、体調も決して万全とは言えない状態で

いざ、亡くなった瞬間から
病院に言われるまま
葬儀会社に言われるまま
短時間で選択、決断を迫られ
見送りに係る(初めて経験することばかりの)儀式をこなす

連絡漏れがないか、準備漏れがないか
悲しむ間もなく頭はフル回転し
6桁のお金が次から次へと積み重なっていく

「地獄の沙汰も金次第」
「坊主丸儲け」
という言葉が何度か頭をよぎりましたが
(なんて不謹慎)
でも、ここでケチケチしたら父の成仏になにか影響があるかもしれぬとおもうと
そこはやはり「できることはしてあげたい」と思うのが人情だと思うのです。

祭壇の花はどれくらいにしますか
棺はどのようなものにしますか

葬儀屋さんは親切で
「こう言ってしまったらなんですけど…燃やしてしまうものですからね」と
高額な棺のページではすこしブレーキをかけるようなアドバイスもくれました。

私は喪主とは言え、母の意向が一番だと思いましたし
葬儀代の支払いは父の預金から出るのも分かっていましたので
ひとつひとつ、母の意見を聞いて進めました。

そのとき思ったのが
「…離婚しててよかったー!」
(元夫が先に亡くなる前提で)
「わたし、あの人(元夫)のためにこんなに頑張れない」
「ある程度の情や想いがないと気持ちもお金も出せない」
ということでした。
このことは何度も思いました。
それくらいハードな数日間でした。


そんな中
本当に感謝、感心したのが
父が自ら行っていた終活でした。

自分が入るお墓(墓地も墓石も)は既に用意され
開眼供養もされていました。
同じく新しいお仏壇も用意されていました。(開眼済)
菩提寺にお願いして戒名も母と二人分授けてもらっていました。

自分が入るものだから、と
自分で選んで自分で手配しもちろんすべて支払いも終わっていました。

茉莉花が困らないように、ということでした。

ひとつ、遺影だけは
あまりに早くから用意しすぎたらしく
若すぎたのと画像が荒すぎたのと
カジュアルすぎたため、近影に変えました。

自分の車も、8月に入院した時点で
11月の免許更新はしないから返納の手続きをしてほしい
車も、懇意にしてるディーラーの〇〇さんに頼んで売却してほしい
と言い、
あれほど運転に自信を持ち、ランドクルーザーを乗り回していた人が
自らあっさり「卒業」していました。
「これからは 茉莉花、乗っけてくれな」と言って。

それにしても
お父さん、本当に立派!
仏具屋さんも
「今ではこの素材のお仏壇は手に入らないですよ」と仰ってました。
(購入した仏具屋さんではなくこの度葬儀屋さんに紹介してもらった仏具屋さん)
墓石も同じく、です。
「よいものに拘る方だったんですね」と言われていました。

ちなみに
平成25年前後にすべての終活が整っていたようです。
(もちろん私が熟年離婚するなど予想もしていなかったころ)
遺言状も公正証書として遺されていました。

わが親ながら見事だ、と思いました。

唯一言うなら
本人に尋ねることが出来なかったことが
「何を着て旅立ちたいか」
「棺に入れてほしいものがあるか」

元気な時に冗談ぽくでもいいから聞いておけばよかったね、と
母と姉と話しました。

結局、父も気に入っており
母も着させたい、と言った
白大島紬を着て旅立ちました。

もし私が今尋ねられても
プチプラの洋服しか持ってないし
これといった「一張羅」(って死語?)も持ってないし
クローゼット見てみんな困るだろうなぁ…

などと考えるこの頃です。

今年で58歳。
よきものを身に着けたいものです
(仕事は私服だから、ついつい質より量と思っちゃうんだよねぇ)

そして終活についても考えるよいきっかけになりました。
(すこし、断捨離を始めました)

12月に
父を看取りました。

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昨夏9月に父が入院した記事を書きましたが



そのときは
まさかこんな日が来るとは思っていませんでした。

9月に書いた通り、
きっかけはお盆に室内で転倒したことによる
大腿骨骨折でした。
手術は成功し、リハビリも順調で
9月中旬には退院し、自宅で過ごしていました。
ゆっくりではありますが自分の足で歩き
後遺症もなく本人も機嫌よく過ごしていました。

が、1ヶ月経った10月中旬に発熱し
救急外来に連れて行ったところ
手術した患部が中で炎症を起こしていると判明。

急遽傷口を開いて患部を洗浄、再手術となりました。

患部が炎症を起こしたのは
傷口からバイキンが入って感染したのではなく
もともとの持病である腎臓疾患が原因とのことでした。

術後の経過には少し時間はかかりましたが
また再びリハビリをしながら
歩行補助具を使ってゆっくり歩けるようになっていました。

が、11月中旬から急に食べられなくなり
ガクっと弱りました。
高カロリー点滴や鼻腔栄養
あらゆる手を尽くしましたが快方に向かうことはありませんでした。

死亡診断書の直接の死因は「肺炎」となっていましたが
患部が炎症を起こしたことをきっかけに
「播種性血管内凝固」が起こったとのことでした。
高齢ということもあり、持病も抱えていたことから
致し方なかったのだ、と思っています。


亡くなる10日ほど前に
医師からは
「回復は見込めないので覚悟してください」と告げられ

看護師さんに
「会わせたい人がいるなら呼んであげてください」
と言われ
病院が厳しく決めている面会時間(1日30分間だけ)
面会人数(1日に親族2人のみ)の制限が解除されました。

「そういうことなのだな」と思いました。

ただ、こればかりは本人の体力や頑張りにもよりますから
「あと何日」と確定しているわけでもなく
ただただ
近々来るであろう「その日」に向けて
静かに覚悟を決める時間を過ごしました。

口から物が食べられなくなってからは
げっそりと痩せ
呂律が回らなくなり
話してることが徐々に聞き取りにくくなったり、
日によっては「せん妄」を発症したり、
ではありましたが
亡くなる3日前までは会話もでき、意思の疎通も出来ていました。

なんなら本人の口からは
「(お正月に一時退院させてもらえたら)みんなで焼き肉したらどうかなぁと
思ってるんだ」という言葉が亡くなる3日前に発せられていたくらいです。


だからでしょうか
(覚悟はしていたはずなのに)
急変してから亡くなるまでの2日間
そして亡くなってから葬儀告別式が終わるまでの怒涛のような3日間
ふわふわと現実味がなく
もうすぐ四十九日を迎えるというのに
いまだに病室に行けば父が入院しているような
(最後の2か月は入院していたので、同居していたとはいえ
「父のいない暮らし」には若干慣れていたところもあります)

不安定な感情の中で暮らしています。

享年90歳。
お寺さんが用意してくださったお位牌には
「天寿90歳」と書かれていました。
仏具屋さんが
「お釈迦様より長生きされたということですよ」と教えてくれました。

まさしく「天寿を全うした」のでしょう。
ただ私としては(勝手に)もう少し、
一緒に居られると思っていました。

多分父本人も、そう思っていたと思います。

ただ、私の中では
見事な旅立ちだったなぁとも思っているのです。

夏以降は入退院を繰り返しましたが
長期間に渡ったわけでもないので
家族である私たちが「介護」「看護」に疲労困憊するでもなく
入院にかかる費用に私たちが困窮することもなく

10日前くらいまでは
それほど暗い気持ちを持つでもなく
希望を思って看護できたこと
(入院は長引くかもしれないけどもう少し一緒に居られると思っていました)

そして医師から告げられてからは
緩やかに覚悟を決めることができ
それに伴う準備ができたこと
遠くに住む孫(わたしの息子たち)も
父に会うために帰って来られたこと

わたし個人としては
父と2人きりの時間を持てたときに
(もう会話は叶いませんでしたが)
感謝の想いを伝えることができたことで
(熟年離婚などして心配をかけたことは詫びました(笑))
悔いはありません。

熟年離婚で思い出しました。
父と言えば
私の結婚に際して、元夫が「結婚させてほしい」と挨拶に来たとき

「自分はきみのこと(元夫)は知らないが
娘(わたし)の選んだ人だから、許す。
娘は本当に良い子なんだ、その娘がきみと決めたのだから
きみも良い人なのだろう」と言いました。

母がその夜
「お父さんがあっさり許したのが意外だった。
いろいろ文句や難癖つけそうだと思っていたのに」と言ったら

「俺も一生茉莉花を守ってやることはできない、
いつかは誰かにバトンタッチしなければいけないと思っていた」と
答えたそうです。

そして嫁ぐ日の朝
ドラマのように「今までお世話になりました」と
三つ指をついて頭を下げた私に
照れくさそうに

「可愛がってもらえよ」と
一言だけ言ってくれたことも
忘れることが出来ません。


それなのに
それなのに
熟年離婚などして!(ノ・ω・)ノオオオォォォ-
モウシワケナイデス

でも、
私には夫はいなくても頼りになる息子が二人いるから
私のことは心配しないでね
そしてお母さんのことも、任せてね
そんなことも伝えました。

親の有難さや存在の大きさに
改めて気付かされた年の瀬でした。

私の職場は
7月~9月の間に夏季休暇を取得してね、という制度です。

8月のお盆時期は出勤して仕事を片付け
自分の仕事をやりくりして
(取引先との絡みで絶対出なければならない日などもあり)


気候なども考慮して
今年は9月のこの時期に取得することにしました。

3泊4日ほどの一人旅を計画し
久々のリフレッシュ!を目論んでいたのですが

7月、8月、
立て続けに
父の入院…

いや逆に病院にいる間の方が安心かな?
まぁ母一人でのお留守番は大丈夫だろう…

と思っていたところ
予定よりも早く
先週末の土曜日、父が退院しました。
思ったよりは回復も順調で
介護認定を受けるほどでもないということで
自宅でのんびりしましょうという感じで帰宅。

入院中に本人の希望で車を手放し
(89歳にしてランドクルーザーを乗り回していたのだ)
これからは主に母が車で送迎をする生活ね、と思っていたところ



父が退院した次の日(日曜日)の20時半ころ

母が玄関先で転倒!
おでこを強打!
みるみる腫れ上がる額…。

近くの救急病院に連絡をして
母を担ぎこみました。
CTなどの検査の結果
骨折や脳内出血などは見られない

とりあえず大丈夫、
自宅で注意しながら療養、ということで帰宅。






そうなると、この年老いた二人を放ったらかして
旅行なんぞ行っている場合ではありません。
もし、何かあった場合、やはりそれは後悔しそう…

キャンセル…するか。

幸いにもツアーなどではなく
自分で手配したホテル(今回は車旅)だったので
キャンセル代がかかる前に決断することが出来ました。

何人かの友達に泣き言を言ったら

偶然2人の人が
「もし旅行に行ってたら良くないことが起こるかもしれなかったのを
お母さんが身を挺して止めてくれたんだと思おう」
というようなことを言ってくれました。

号(┳Д┳)泣

そして現在
9/22~の毎日は

母を整形外科へ送迎し(もれなく診察付添)
父を内科へ送迎し(もれなく診察付添)
父を整形外科へ送迎し(もれなく診察付添)
母を買い物へ連れて行き
父を散髪に連れて行き

貴重な平日休みだから
せめて
ゆっくり買い物、か
ゆっくり日帰り温泉、なども考えましたが
連日なにかしらの両親の手伝いがあり
本日夏季休暇最終日の金曜日を迎えてしまいました。

トホホ
つまらーん


しかしながら
ここ数カ月両親の病院の窓口となって
一緒に診察に付き添ったり説明を受けたりする中で

しみじみ
『高齢者の話はメンドクサイ』
『尋ねられたことに的確に回答できていない』
『おなじことを何度もループ』
『自分が自分が自分が!』
『話しているうちに内容が変わっていく(なんなら嘘を平気で言う)』
『聞いたことを全く覚えていない(聞いていない&認知)』

すべての医療従事者の方、
心から尊敬いたします。
みなさん、とてもお優しい。
年寄りが話したい欲を
黙って受け止めてくださって
私は何度「もう、この話は終わりでいいんじゃない?」と
話に割って入ったことか(笑)

自分のことで手一杯、あたま一杯の
高齢者を相手にするのは
体力もさることながら
やさしさ、が枯渇するとしんどい。

老々介護は大変だ、と
母が散々愚痴をこぼしていた気持ちが良くわかりました。

今までは母が父の相手をほとんど引き受けてくれていたのですが
その母も近頃
もの忘れ、ではすまされないレベルの
認知機能の低下を感じています。
(年相応、と言われればそれまでですが
主治医の先生も脳の萎縮が認められ、
性格の変化(怒りっぽい、頑固)が見られると言われました)

これからますます大変じゃん…
とは思いますが

出来ることをできる範囲で
無理せず、と思っています。

わたしの、人生も大事にしたい。
なぜなら私の健康寿命(それなりにおいしく食べてやりたいことがやれる体力)も
それほど残りが多いとは思えないので。

こんな本、借りてみました。

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前回からの続き…



3年8カ月ぶりに会った元夫は
「老けていました」
「(元々スリムでしたが)痩せていました」

が、
(写真を見た大学時代の友達も言いましたが)
「イケオジ」と言ってもよいくらいの
こざっぱりしたよい老け方をしていたように思います。

小一時間の対面でしたが
私は
挨拶と、すこし、言葉を交わしたくらいです。

孫を愛しそうに眺める元夫に
「(長男がこのくらいの時を)思い出す?」を尋ねたら
「思い出すなぁ~」「お風呂に入ったらいつもこんな(顔真似)表情をしてた」
と即答していました。

最後に別れるときにお嫁さんに
「ご両親には失礼をしていて申し訳ない、結婚式にも出られなくて…」と
改めて挨拶をして
その流れで
「母さんにも迷惑をかけて本当に申し訳ない」と
私に頭を下げてくれました。

今まで私に見せたことがない
「謙虚な姿」の元夫がそこにはいました。


そのことに少し、救われた気がしました。

私たちの離婚劇は
私がどっかーんと離婚を突き付けて
そのやり取りの中で
動揺しつつも常に上から目線の元夫に罵られるようなこともあり
(終始「お前」と言われ)

そのまま
(事務的に必要な最低限のやり取りはあったものの)
じっくりと離婚の件について会話をすることもなく終わってしまっていました。

一連の離婚のいきさつについて
元夫がどのような感情を抱いているのかも全くわからないままでした。

敢えて言うなら
当日の彼の言動から推察すれば
「俺はハメられた」ぐらいに思われていても仕方がないと思っていました。
(断じて、わたしはハメてはいないけど)


でも、3年8カ月ぶりに会った元夫は
少なくとも私に対しての恨みや憎しみは抱いていないようでした。

そのことを自分の肌感覚で感じ取ることができ、
私にとって長年の懸念が払拭されたことは救いになりました。

******************

その後、孫の1歳の誕生日を迎える前にも
もう一度、同じような機会がありました。

その後は、
パパ(息子)と孫二人でのお出かけができるようになったことから
お嫁さんは不参加となり
私もお役御免となりましたが

(決して和気藹々ではないけれど)
穏やかな時間を共有できたことはよかったと思います。


お嫁さんの本音としては
「孫が物心がつく頃には会わせないようにしたい」とのことですが

(小さい子供に「離婚」という説明をしたくない、
しづらいという気持ちはとてもよくわかります。
そして多分、私に対しての遠慮や気遣いもあるのだろうと思っています)

そんなこんなの「葛藤」「憂鬱」を
お嫁さんに背負わせてしまったことは
本当に申し訳ないなぁと思っています。
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パパに肩車してもらって
葉っぱに手を伸ばす可愛い孫の手
(可愛いお顔が写っているのでトリミングしちゃいました)

離婚したのが2019年(令和元年)
長男が(元夫の姓から抜け)
私の籍に入ってくれたのが2020年(令和2年)
長男が入籍したのが2021年(令和3年)
コロナで挙式が延期延期(2度の延期)になり披露宴ができたのが2023年(令和5年)
延期延期の間に第一子妊娠がわかり

私の「オバアチャン」デビューは
2023年(令和5年)の6月でした。

俗に言う
「『嫁』が産んだ孫より『わが娘』が産んだ孫の方が可愛い」
という言葉をなんとなく納得、と思って聞いていたのですが

生まれた孫は男の子で
なんとまぁ長男にうりふたつ!
(お嫁さんもお嫁さんのご両親も「うちのDNAが感じられない…(笑)」と言ったほど)

可愛い
ほんとうに可愛い。
自分の時とは違って余裕がある分
責任がない分(オイオイ)
可愛くて仕方ありません(笑)


可愛さと懐かしさと
そして不思議な感情に襲われました。
この子(孫)には元夫のDNAが受け継がれているんだなぁということ
同じだけの血のつながりで(親ではなく「祖父母」として)
同じ立場で語り合えるのは地球上に元夫ただ一人なのだなぁということ

「あの仕草、〇〇(長男)の小さいころにそっくりね」
「〇〇もあんな表情してたよね」
「この遊びが好きだったよねー何度もやってくれって言ってた」
「このお菓子が好きだったよね」
「いつも~してたよね」

ついつい懐かしい話の相槌を求めたくなる

そしてそれができない現状。
孫が生まれた瞬間もそこにおらず知らされもせず
新しい命の誕生にみんなが喝采しているその「輪」に
加われなかった元夫に、色々な感情を抱きました。

日によっては「可哀そうに」であったり
また別の日には「ザマミロ」であったり
なかなか私の中でも元夫に対する感情は整理されていないのだと思います。


結婚式に元夫を呼ばない、
お嫁さんも紹介しない、と自分で決めた長男でしたが


生まれる直前に(無事に生まれてもいないのにどうかとも思ったけど)
元夫から「出産祝」を渡されたこともあって
生まれたら会わせようと思う、と言いました。
(自分が「父親」になることで改めて「父親」としての元夫、
元夫と自分との関係性を考えたのかなぁと思います)

お嫁さんは難色を示しました。
(お嫁さんにとって会ったこともない元夫は、不倫して家庭を壊すきっかけを作った
女性としてもよい感情を持てない、そして自分の夫や姑を悲しませた人間として
かなり悪い印象だったようです)

もちろん私も諸手を上げて大賛成!という気分にはなれませんでしたが

孫に愛情を注ぐ人物は一人でも多い方が良い、と思ったことと
会わせるだの会わせないだの、私がとやかく言うことではないと思っていたので
静観していました。

かなり抵抗をしていたお嫁さんに
「わたし、付いて行ってあげようか?」と言い出したのは
お嫁さんが私に気を遣って会いにいけないのかな、ということもひとつ

あと、その場に居なかったらきっと
「父さんどう言ってた?」
「なんて言ってた?」などと聞きたくなってしまいそうで
(「自分は子育てをめちゃくちゃ手伝ってた」なんて大嘘つかれても腹が立つ、というのもあった)
それならば傍らで静かに観察しておこうかしら、と思ったのも事実。

他の方のブログで
お正月に別れたご主人のお誘いで
(もちろんご主人のお会計で)家族みんなで焼き肉を食べに行く、
という記事を読んでから
(決して元夫と元妻は和気藹々とはしてないけど…それなりに楽しそう)
そういう関係も悪くないなぁと思っていたこともあります。

そして、生後3か月のBABYがぐずった時のヘルプ要員として
新米ママに付き添うべきだろうと思ったのも事実。

意外な私の申し出に
長男は「…母さんがいいのならぜひ」
お嫁さんは「…いいんですか?一緒に居てもらいたいです」

ということで
孫が生まれて3か月、明日はお食い初めという日

離婚して(年金事務所で手続きのために会って以来)
3年9か月ぶりに、元夫に会いました。

2023年9月の出来事です。

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