父の逝去に際しては
母の希望により(というか相談もなく強引に決定されていました)
私が喪主を務めました。

やってみてしみじみ思う
人が亡くなり、送る、というのはなんと大変なことか!
初めての経験だったのでなおさらだったのかもしれませんが
(母も葬儀を出す側は初めてでした)
危篤から死去
そこからノンストップのジェットコースターに乗せられたような3日間でした。
(連日すごい頭痛で毎日ロキソニンを飲みながら過ごしてました)
なんならその前から病院への見舞い、付き添いや
仕事の調整などなど
それなりに非日常の多忙な日々を送っていて
寝不足、体調も決して万全とは言えない状態で
いざ、亡くなった瞬間から
病院に言われるまま
葬儀会社に言われるまま
短時間で選択、決断を迫られ
見送りに係る(初めて経験することばかりの)儀式をこなす
連絡漏れがないか、準備漏れがないか
悲しむ間もなく頭はフル回転し
6桁のお金が次から次へと積み重なっていく
「地獄の沙汰も金次第」
「坊主丸儲け」
という言葉が何度か頭をよぎりましたが
(なんて不謹慎)
でも、ここでケチケチしたら父の成仏になにか影響があるかもしれぬとおもうと
そこはやはり「できることはしてあげたい」と思うのが人情だと思うのです。
祭壇の花はどれくらいにしますか
棺はどのようなものにしますか
葬儀屋さんは親切で
「こう言ってしまったらなんですけど…燃やしてしまうものですからね」と
高額な棺のページではすこしブレーキをかけるようなアドバイスもくれました。
私は喪主とは言え、母の意向が一番だと思いましたし
葬儀代の支払いは父の預金から出るのも分かっていましたので
ひとつひとつ、母の意見を聞いて進めました。
そのとき思ったのが
「…離婚しててよかったー!」
(元夫が先に亡くなる前提で)
「わたし、あの人(元夫)のためにこんなに頑張れない」
「ある程度の情や想いがないと気持ちもお金も出せない」
ということでした。
このことは何度も思いました。
それくらいハードな数日間でした。
そんな中
本当に感謝、感心したのが
父が自ら行っていた終活でした。
自分が入るお墓(墓地も墓石も)は既に用意され
開眼供養もされていました。
同じく新しいお仏壇も用意されていました。(開眼済)
菩提寺にお願いして戒名も母と二人分授けてもらっていました。
自分が入るものだから、と
自分で選んで自分で手配しもちろんすべて支払いも終わっていました。
茉莉花が困らないように、ということでした。
ひとつ、遺影だけは
あまりに早くから用意しすぎたらしく
若すぎたのと画像が荒すぎたのと
カジュアルすぎたため、近影に変えました。
自分の車も、8月に入院した時点で
11月の免許更新はしないから返納の手続きをしてほしい
車も、懇意にしてるディーラーの〇〇さんに頼んで売却してほしい
と言い、
あれほど運転に自信を持ち、ランドクルーザーを乗り回していた人が
自らあっさり「卒業」していました。
「これからは 茉莉花、乗っけてくれな」と言って。
それにしても
お父さん、本当に立派!
仏具屋さんも
「今ではこの素材のお仏壇は手に入らないですよ」と仰ってました。
(購入した仏具屋さんではなくこの度葬儀屋さんに紹介してもらった仏具屋さん)
墓石も同じく、です。
「よいものに拘る方だったんですね」と言われていました。
ちなみに
平成25年前後にすべての終活が整っていたようです。
(もちろん私が熟年離婚するなど予想もしていなかったころ)
遺言状も公正証書として遺されていました。
わが親ながら見事だ、と思いました。
唯一言うなら
本人に尋ねることが出来なかったことが
「何を着て旅立ちたいか」
「棺に入れてほしいものがあるか」
元気な時に冗談ぽくでもいいから聞いておけばよかったね、と
母と姉と話しました。
結局、父も気に入っており
母も着させたい、と言った
白大島紬を着て旅立ちました。
もし私が今尋ねられても
プチプラの洋服しか持ってないし
これといった「一張羅」(って死語?)も持ってないし
クローゼット見てみんな困るだろうなぁ…
などと考えるこの頃です。
今年で58歳。
よきものを身に着けたいものです
(仕事は私服だから、ついつい質より量と思っちゃうんだよねぇ)
そして終活についても考えるよいきっかけになりました。
(すこし、断捨離を始めました)
母の希望により(というか相談もなく強引に決定されていました)
私が喪主を務めました。

やってみてしみじみ思う
人が亡くなり、送る、というのはなんと大変なことか!
初めての経験だったのでなおさらだったのかもしれませんが
(母も葬儀を出す側は初めてでした)
危篤から死去
そこからノンストップのジェットコースターに乗せられたような3日間でした。
(連日すごい頭痛で毎日ロキソニンを飲みながら過ごしてました)
なんならその前から病院への見舞い、付き添いや
仕事の調整などなど
それなりに非日常の多忙な日々を送っていて
寝不足、体調も決して万全とは言えない状態で
いざ、亡くなった瞬間から
病院に言われるまま
葬儀会社に言われるまま
短時間で選択、決断を迫られ
見送りに係る(初めて経験することばかりの)儀式をこなす
連絡漏れがないか、準備漏れがないか
悲しむ間もなく頭はフル回転し
6桁のお金が次から次へと積み重なっていく
「地獄の沙汰も金次第」
「坊主丸儲け」
という言葉が何度か頭をよぎりましたが
(なんて不謹慎)
でも、ここでケチケチしたら父の成仏になにか影響があるかもしれぬとおもうと
そこはやはり「できることはしてあげたい」と思うのが人情だと思うのです。
祭壇の花はどれくらいにしますか
棺はどのようなものにしますか
葬儀屋さんは親切で
「こう言ってしまったらなんですけど…燃やしてしまうものですからね」と
高額な棺のページではすこしブレーキをかけるようなアドバイスもくれました。
私は喪主とは言え、母の意向が一番だと思いましたし
葬儀代の支払いは父の預金から出るのも分かっていましたので
ひとつひとつ、母の意見を聞いて進めました。
そのとき思ったのが
「…離婚しててよかったー!」
(元夫が先に亡くなる前提で)
「わたし、あの人(元夫)のためにこんなに頑張れない」
「ある程度の情や想いがないと気持ちもお金も出せない」
ということでした。
このことは何度も思いました。
それくらいハードな数日間でした。
そんな中
本当に感謝、感心したのが
父が自ら行っていた終活でした。
自分が入るお墓(墓地も墓石も)は既に用意され
開眼供養もされていました。
同じく新しいお仏壇も用意されていました。(開眼済)
菩提寺にお願いして戒名も母と二人分授けてもらっていました。
自分が入るものだから、と
自分で選んで自分で手配しもちろんすべて支払いも終わっていました。
茉莉花が困らないように、ということでした。
ひとつ、遺影だけは
あまりに早くから用意しすぎたらしく
若すぎたのと画像が荒すぎたのと
カジュアルすぎたため、近影に変えました。
自分の車も、8月に入院した時点で
11月の免許更新はしないから返納の手続きをしてほしい
車も、懇意にしてるディーラーの〇〇さんに頼んで売却してほしい
と言い、
あれほど運転に自信を持ち、ランドクルーザーを乗り回していた人が
自らあっさり「卒業」していました。
「これからは 茉莉花、乗っけてくれな」と言って。
それにしても
お父さん、本当に立派!
仏具屋さんも
「今ではこの素材のお仏壇は手に入らないですよ」と仰ってました。
(購入した仏具屋さんではなくこの度葬儀屋さんに紹介してもらった仏具屋さん)
墓石も同じく、です。
「よいものに拘る方だったんですね」と言われていました。
ちなみに
平成25年前後にすべての終活が整っていたようです。
(もちろん私が熟年離婚するなど予想もしていなかったころ)
遺言状も公正証書として遺されていました。
わが親ながら見事だ、と思いました。
唯一言うなら
本人に尋ねることが出来なかったことが
「何を着て旅立ちたいか」
「棺に入れてほしいものがあるか」
元気な時に冗談ぽくでもいいから聞いておけばよかったね、と
母と姉と話しました。
結局、父も気に入っており
母も着させたい、と言った
白大島紬を着て旅立ちました。
もし私が今尋ねられても
プチプラの洋服しか持ってないし
これといった「一張羅」(って死語?)も持ってないし
クローゼット見てみんな困るだろうなぁ…
などと考えるこの頃です。
今年で58歳。
よきものを身に着けたいものです
(仕事は私服だから、ついつい質より量と思っちゃうんだよねぇ)
そして終活についても考えるよいきっかけになりました。
(すこし、断捨離を始めました)



