50代からのシングル(シンプル)ライフ ~熟年離婚、しました。

結婚26年で熟年離婚しました。 弁護士の先生にもお世話になりました。 興信所の社長からは「探偵に向いている」と誘われました。 そんな離婚劇のあれやこれや… シングルアゲインのアラフィフの備忘録です。

ふと思うこと

昭和11年生まれ、今年89歳になる父が入院しました。

とは言え去年からこの1年半で
入院は5回目
救急車で搬送されたこと3回(そのうち入院に至ったのは1回)

23478894_s


高齢による内臓疾患(貧血・腎機能低下・心不全)
転倒による頭部外傷

痔の手術のための入院もしましたが
出血がひどく、高齢&持病の関係もあり手術途中で止めざるを得ませんでした。

先生曰く、高齢で臓器も年を取っており
体調不良はある程度仕方がない、とのこと。
60代に直腸癌、70代に胃癌の手術をしたものの
癌については
いまは寛解している状態です。

つまり、「もう高齢」ゆえ
現在特に病名があるわけでもなく
劇的に体力が回復することも無い状態ということのようです。

加えて今回は室内で転倒し、大腿骨骨折→手術となりました。

動けない父を
ちょうど早めのお盆で帰省していた次男が背負って
私の車まで運んでくれ、病院に連れていくことが出来ました。


こんなとき、ふと
「男手がない」今の生活を嘆く気持ちになります。
(今回は息子がいてくれたので本当に助かったのですが)

すっかりやせ細ったとはいえ、介護の心得もない私と母では
二人がかりで父を支えることも一苦労でした。

そして何度も経験していますが
入院手続きから承諾書、
先生の説明も
もはや父と母だけに任せてはいられない状態です。

(先生の質問に的確に回答できていない、言われたことを理解していない
聞いた説明を都合の良い内容にすり替えている、大事なことを忘れてる)

入院はリハビリ病院への転院を含めて
2~3か月と言われています。

母が自分で車を運転して日々面会に行っていますが

必要に応じて
仕事を休んだり、早退したりしながら私も病院に顔を出す日々です。

父の相手がほとんどの「妻業」からしばし解放された母は
友達とランチにでかけたり羽を伸ばしているようにも見えますが
時折 
寂しそうだったり漠然とした不安を抱えているようであったり
かと思えば
病院でわがままを言う父に腹を立てて一日中怒っていたり

母の(メンタルの)フォローも大変だと感じています。

私は現在57歳。
「そういう歳」になったのだなぁと感じています。
同世代の友達と話すとき、親の介護、自分の健康の話が多くなりました。

跡取り娘として覚悟はしていましたし
現実も受け入れていますが

ふと、
離婚をしていなかったら
やはり今ほどは一人で抱え込まなくてもよかったのかなぁと思うことはあります。

「介護は実子で」が最近のスタンダードだと言われていますが

それでも
ちょっと

「ごめん、今日は車出してくれる?」
「今日どうしても休めないから病院に顔出してくれる?」
「病院の説明を一緒に聞いてくれる?」or
「先生はこう仰ってるけど、この方針でいいよね?」
「ちょっと父に肩を貸してくれる?」

例えば病院に連れて行くときも
病院のエントランスに車を横付けにして
受付まで「車いすと補助の方をお願いします」と依頼に走るとき
もう一人の誰か、が居てくれると助かる…。

それが、配偶者なのかなぁ

私にはそこそこ気遣いのできる(笑・親バカ)優しい息子が二人おりますが
二人とも仕事の関係で県外で暮らしているので
「ちょっとしたこと」で呼び寄せるのは不可能です。

今は年老いた母と2人3脚。
いつか来る見送りも含めて
たくましくならなければいけないなぁと思う晩夏です。

今年も残すところあとわずかになりました。

離婚して5年の月日が流れました。
…早かったです。


離婚を切り出したあの大変な一日や
弁護士事務所での胃がキリキリするような打ち合わせや
悔しくて泣きながら元夫が残していった「ガラクタ」を
片付けたことや

あれやこれやの修羅場がつい昨日のことのように思い出せるのに
あれが5年も前のこと???

って感じです。

その間には

長男が入籍したり
挙式披露宴が行われたり
孫が生まれたり
愛猫が亡くなったり
義兄がコロナで亡くなったり
実母に癌が見つかり手術したり
実父が救急車で搬送されたり(それも今年1年で3回も!)

色んなことがありました。

私も年を取り
両親も年を取りました。

両親に手がかかることが増え
孫守りに駆り出されることも増え
もろもろが重なったときには

「相方が居れば半分とは言わないまでも
すこしは分担できるのになぁ」と頭をよぎることがあります。

でも
それも一瞬だけ。

きっかけは元夫の不貞だったとしても
彼との結婚生活は
自分を殺してたいそう息苦しいものでしたから

今の
日々の自由な暮らしを
こころから満喫しながら過ごしています。


2025年の目標は
「なにはともあれ健康が一番」をモットーに
いろんなところにお出かけできたら、と思っています。
「旅」を頻繁にすることは難しいかもしれませんが
「フッ軽」でいたい、と思っています。

老親と同居している娘としても
日に日に踏ん張りどころが増えてくるのではと思っていますが

健康で
ごきげんに暮らしていきたいと願っています。



そして


正直に言うと
離婚後5年もすれば男友達の1人や2人はできているかなと思っていました(笑)

恋愛体質ではないから
恋愛をすることはないのではないかとは思っているけれども

気の置けない
気軽に相談が出来たり、ときには頼ったり
ご飯をごちそうしてもらったり(←これ大事)
そんなボーイフレンドが(何人か)居ると嬉しいなぁと思いながらも
なにもない5年間でした。

ぶううううーーーー

まぁね
自分が
されたこと(不貞行為)
したこと(慰謝料請求)を思うと
既婚男性には不用意に近づきたくない、
という気持ちは以前よりもとても強くなりました。

既婚男性の下心ありそうな言動を感じると
思いっきり引いてしまいます(笑)


義兄の急逝によって未亡人になった姉(60代半ば)は
「いくつになっても『下心』がないオゴリはない」と
私に諭してくれました。

そういう姉は
80代後半の取引先会社の会長に
ベンツでラブホテルに連れ込まれたそうです(驚!!)

31092413_m


郵便料金の値上げが私に引導を渡してくれました。

今年を最後に、年賀状終いをしよう。

そんなことを考えるきっかけになった出来事が
秋ごろありました。

地方選挙の期日前投票に行ったとき
私に投票用紙を渡してくれたのが
次男(現在27歳)が幼稚園の時に一緒に役員をしたママ友でした。
(役所勤めというより、選挙の時だけの派遣パートをされているようでした)

「あ…。」私は気づいたのに彼女は全く気付いていません。
なぜなら投票券の氏名(名字)が離婚後のものだから。
お目にかかるのもかれこれ10年以上ぶり
彼女は次から次へと来る投票者に用紙を手渡す業務に集中しているようでした。

声をかけそびれてそのまま会場を後にした数日後、
近所のスーパーで彼女の姿を見つけました。
私は車で入店したところ、彼女は自転車で退店しているところ。
すれ違いです。

慌てて車を止めて後を追って声を張り上げてみましたが
気づかず行ってしまわれました。

彼女は毎年元日に年賀状をくれます。
もちろん私も元日に届くよう年賀状を出します。
お互い、直筆での近況を書いて。
(お互いその近況に対しての返信はまた一年後)

このままだったら年賀状に
「地方選のとき期日前投票でアルバイトされてたでしょ?」
「その数日後に〇〇スーパーでお見かけしましたよ!」
「久しぶりにお茶でもしませんか?」って書くんだけど

…それについての返信はまた1年後…( 一一)

やっぱ今すぐ伝えたいわ!とアドレス帳を開き
よくお目にかかっていた当時は
携帯メールのやり取りだったので
そのアドレスにテンション高くメールしてみました。





宛先不明で戻ってきました…。
携帯番号もありましたが、
この番号が今でも彼女の番号かどうかもわからない、と思うと
メッセージを送るのも躊躇われました。

なんだかなぁ…

年賀状「だけ」で繋がっている友達
それはそれで年1度の近況報告で
それが生存確認だったり
お引越しのお知らせだったり(ご主人の定年のタイミングで地元に戻られる方もちらほら)
「今年「こそ」会おうね~!」って書いてあるのに
もう何年も会ってない
(住所しか知らないから具体的な話に展開しない)


実は
そういう「年に1度だけのお付き合い」の人たちには
「離婚した」ということすら、伝えられていないのです。
離婚して5年、直後こそなかなかカミングアウトできず
職場でも未だに婚姻時の姓を名乗ってはいますが
(仕事上の不都合を考えてそうしたことについては後悔はしていません)

直接話ができる相手にはそのタイミングで
徐々に離婚したことを伝えています。

年に一度の年賀状のお相手には、
今年こそ会いたいですね、と言いつつ
結局それ以上の関係ではないのだな、と思うに至りました。

そんな関係性の人たちのために
年賀状の作成して
プリンターのインク補充しながら
印刷…
(離婚を告げている人と告げていない人
それぞれ差出人(私)の名字を分けるという
芸の細かさもさらにめんどくささを倍増する)
年末の忙しい時に25日まで投函!に追われて…

なんかねー
もういっかー
と思ったのですよ。
LINEなどで送れるように
年賀状を画像データで作成し、
SNSで繋がっている人たちには元日にSNSで送信、

住所しか連絡先を知らない方に関しては
元日に届くように年賀状を用意して

私のSNSの情報をQRコードで記載し
「ご登録いただけると幸いです」
「これからはメールやラインでのお付き合いをよろしくお願いします」と
送ることにしました。

先ほど、完成!
(最後だと思うと少し手書きメッセージも長めに、シールはったり
落款押したり、頑張りましたよ)

明日、投函します。
気になる年末しごと、ひとつ終わりました。
S__112648198


昨年末、ちょうど我が家に帰省していた長男の電話に
元夫から着信がありました。

「父さんから電話があって…おばあちゃん、亡くなったんだって」
(なんだかこのくだり、多いですね)

元姑は昭和5年生まれ
持病も特になかったのですが(息子経由で)最後に聞いた話では
転んで肋骨を折り入院中とのことでした。

長男はお葬式には行くつもりはない、
お香典、しないといけないのかな、特にするつもりはないんだけど、と言いました。
「何も、してもらった記憶もないし」

これは推測ですが
元夫は「これから(元姑が亡くなった地、義兄家族が暮らす新幹線で数時間のところへ)
駆けつける」と言ったと言います。
長男が「じゃあ僕も」と言ってくれることを期待していたのではないかと思います。

私はともかく、息子たちからのお香典を(母として)
手配してやるべきかと悩みましたが
息子の意思もあるし、
どうしても「孫から」の「お香典」や「献花」が欲しいのならば
元夫が自分の裁量でなんとかするだろうと判断しました。


元姑、
元夫の母親はなかなかに『強烈』な方でした。

元夫との「価値観の違い」に悩んでいた時
いつも
自分を納得させるために
「あのお母さんに育てられたんだから、
(元夫が『変な人』で私と価値観が合わないのは)仕方ない」
と思うようにしていました。

まぁ「子育て」をするというよりは
自分がずっと「娘」のような人でした。

私が結婚した後数年して亡くなった舅は
旧帝大の薬学部を卒業し
大手薬品メーカーに勤めていたにも関わらず
専業主婦の元姑が有れば有るだけお金を使い
更に金融業者から内緒でお金を借りて散財するということを繰り返していたようです。
(私が元夫と結婚する前の話です。
当時20代だった元夫は金融業者の取り立てに対峙し、自分の給料から完済したようです)

というわけで私が結婚した当初から
元夫の実家は借家住まいの貯金ゼロ
でも元々お嬢さま育ちの元姑は生活レベルを下げることが出来ず
高い化粧品を使い
食材はデパートの食料品売り場でなければ、と拘り
年金が無くなると息子たちに泣きつく、という始末。
(当時はまだ舅も存命でした)

我が家が旅行に行ったと知ると
「私たちだって旅行に行きたい(連れていけ)」と言われ
(元夫もそれに応えていました)
海外出張の時は、元姑の方からブランド品のバッグや香水などの
リクエストが当然のようにあり、
我が家を訪問するときは
元夫が事前に(交通費とは別に)お金を渡し、
手土産(子供たちが喜ぶおもちゃなど)を購入してもらい
孫たちにはいいおばあちゃんを演じる、そんな人でした。

私は結婚後、義両親の誕生日、母の日父の日、敬老の日(これは息子たちの名前で)
お中元、お歳暮、お年玉、を欠かすことなく(遅れることなく)贈っていたのですが

とある母の日に
手配していたにも関わらず、お店の手違いで当日配達できなかったとき
(事前に「荷物を送りました」と言っていたわけでもないのに)
お昼過ぎに電話がかかってきて

「何も届かないんだけど!届くと思って待ってるのに
出かけられやしない!どうなってるの!」と怒鳴られたことがあります。

お店に問い合わせてお店の手違いだと判明し
今日は届かないようだと説明しても

「どんなお店に頼んだんだか!!茉莉花さんが悪い!」と怒りは収まらず

そのやりとりを傍で聞いていた長男(当時小6)が
(事の成り行きを自分なりに咀嚼して)
「…もしかして、おばあちゃんってすごく嫌な人なんじゃないの?」
「僕、知らなかった」と言った
という思い出があります。

それまで、息子たちにおばあちゃんの悪口は耳に入れず
いいおばあちゃんであるかのように
私も元姑のことを嫌っているなんてことはおくびにもださずいたのですが
(実は元夫も私が元姑を嫌っているということにこのあともずっと気付いていませんでした。
そういうところまで感情を押し殺して合わせていたからですね)

その一件以来息子たちがおばあちゃんを見る目は厳しくなったと思います。

…ちなみに
孫である息子たちは誕生日のお祝いも
子どもの日のプレゼントも、お年玉すらもらったことはありません。

…いやはや
元姑のエピソードには枚挙に暇がないのですが

とは言え、私は次男の嫁として離れたところに住んでいたので
接点があるときだけ、我慢していればよいのは幸い、と
割り切って付き合っていました。

元舅が亡くなったあと、当分は我儘を通して
一人での借家住まいを貫き通しましたが(相変わらず息子たちに援助を受けながら)
10年ほど前から義兄のところに引き取られました。
(でも義姉が同居は絶対に無理だと抵抗したため義兄宅隣のアパートに住み
毎食、義姉が食事を運ぶという生活でした)

そこでも我儘ぶりを発揮し、
最終的に義姉が精神的に病んでしまう、という
それはそれは可哀想な状況でした。

同じ「嫁」という立場でありながら
「次男の嫁」というだけで姑の面倒にほぼ手を貸すことなく
最後は挨拶もせず、バッサリ関係を断ち切ってしまった私としては
義姉に対しては申し訳ない気持ちもありました。

なので

元姑の訃報に
「あ、お義姉さん、やっと楽になったんだ」と
少しホッとしたのは事実です。

全うしきれなかった「嫁」としてのミッションの中で
「姑を看取る」という大変なことを
「義姉に押し付けた形になってしまった」と
ずっと心に引っかかっていたことが解決したような気持ちでした。

亡くなったことを聞いてホッとしたりして
元姑さん、ごめんなさい。

彼女はただお嬢さま育ちで
かなり我儘(でバイオレンス)だった上に金銭感覚が欠如していただけ、と言えばそれまでです。

お料理も苦手で、元夫たちの成長期ですら
外食、出前、買い食いが多かったらしく
帰省の際は嫁が三度三度の食事をすべて(食材の買い出しからすべて)
作るのもお約束でしたが
どれも「おいしいわ」「どうやって作るの?」「これは何ていう料理?」
と無邪気に褒めてくれていました。
(茄子の煮びたしも切り干し大根の煮物も、全く知らなかったのには驚きましたが)

この夏は初盆だったはず
ちゃんと供養してもらえたでしょうか。

姑に振り回されっぱなしだったお義姉さんが
心穏やかに暮らせていますように
願っています。

4E1B1625-75E9-4A5B-B19D-54D647EFEFF4

安倍晋三元首相の
ご冥福を心からお祈りします。

痛かっただろうな
無念だろうな
もっと生きていたかっただろうし
もっとご活躍していただきたかったな

彼からもらった
最初で最後のプレゼント
未だ手つかずでしまったままでした。

S__100352009


安倍元首相については
偉業も悪評もそれぞれあるけれど

2002年に北朝鮮の拉致被害者の帰国時に
拉致被害者や家族会の方々から大変信頼されている姿が
とても心に残っています。
当時のやり手小泉首相のパフォーマンスの陰で
被害者に常に寄り添う、穏やかな表情の安倍さんを見て
優しい人なんだろうなぁと思ったのは
20年も前のことになるのですね。

その後「在任期間最長の首相」になられて
歴代首相のなかでも印象深い人物であることは御存じの通り。

夫人も色々お騒がせの方ではあるけど
女性としてはチャーミングなところがあり
きっと安倍さんは
彼女の言動に足を引っ張られても引っ張られても
彼女のことが可愛かったのではないのかしら

そんな彼女が
こんな形で大切な配偶者を失ってしまったこと

元首相でもなく
元ファーストレディでもなく

一人の女性として
本当にお辛いだろうな、と思います。

安全だと信じていた日本という国で
こんな悲しい事件が起きるなんて。

政治とか政党とか選挙の時期だとか
そういうこととは全く関係なく

人の命がこんなにも簡単に
理不尽な理由で
終わらせられてしまったことが
ただただ悔しくて残念です。

↑このページのトップヘ